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全富一 (1924年生)

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全 富一(チョン・ブイル、朝鮮語: 전부일1924年1月16日 - 2004年6月17日)は大韓民国軍人国会議員陸軍士官学校陸軍大学国民大学国防大学院[1]

概要 全富一, 生誕 ...

経歴

1924年1月、全羅南道光州(現・光州広域市)に全邦殷の三男として生まれる。1944年4月1日、徴兵第1期生として日本軍に入隊し、満州の部隊に配属される。終戦時は見習士官[2]

1946年2月、南朝鮮国防警備隊に入隊し、編成中の第4連隊(中隊長:金洪俊)に金在命任忠植らとともに幹部候補要員として配属[3]、同年12月に警備士官学校第2期卒業、任参尉(軍番10236番)。1949年、第2連隊大隊長。

開戦後の1950年7月1日、堤川への撤収作戦中の第8師団(長:李成佳)に軍需参謀(少領)として急遽登用され、指揮物資の確保に尽力[4]。1951年5月30日、第21連隊長(大領)として金華山の戦闘を指揮[5][2]。1952年、第51連隊長[2]

休戦後は第2軍軍需処長、第50師団長。1959年より国民大学校政治学科と国防大学院への入学を経て、第27師団長、第5管区(大邱)司令官を歴任。1966年、第1軍団長在任中に中将に昇進し、第2訓練所長国防部管理次官補を最後に中将で予備役編入した。

以降は政界入りし、1970年8月、初代兵務庁長に就任。1973年、在郷軍人会事務総長。1976年より統一主体国民会議維新政友会所属で国会議員を二期務めた。

1981年、議員を退き、公営企業の永南化学社長。

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年譜

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栄典

  • 二等報国勲章:1967年10月[7]
  • 勤務功労勲章:1974年[7]
  • 忠武武功勲章:1974年[7]
  • 乙支武功勲章:1974年[7]
  • 花郎武功勲章:1974年[7]
  • ブロンズスター勲章:1974年[7]

出典

参考文献

外部リンク

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