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六平光成
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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六平 光成(むさか みつなり、1991年1月16日 - )は、東京都西東京市出身の[3]元プロサッカー選手。サッカー指導者。ポジションは主にミッドフィールダー(MF)。
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来歴
プロ入り前
通園していた幼稚園に訪れた有吉朋樹(元フットサル日本代表)の影響でサッカーを始める[4]。中学時代はFC東京の下部組織に所属し、三田啓貴、藤原広太朗、山崎侑輝、岩渕良太、山村佑樹、井上亮太、宮澤勇樹と共にプレー。U-15深川からU-18への昇格を果たせず[3]、前橋育英高等学校へ進学。高校3年時には2008年度の全国高校サッカー選手権でベスト4まで進出すると共に大会優秀選手にも選出され、さらにはU-18日本代表候補にも選ばれた。高校卒業後はJリーグクラブからのオファーを断り[3]中央大学へ進学。
2010年に中華人民共和国で開催されたAFC U-19選手権には、U-19日本代表の主将として出場。準々決勝の韓国戦で敗れ、翌年開催のFIFA U-20ワールドカップ出場を逸した。2011年にはユニバーシアード日本代表に選出され[5]、深圳ユニバーシアードで金メダルを獲得した。
清水エスパルス
清水エスパルス、大宮アルディージャ、鹿島アントラーズから獲得を打診され[6]、2013年より清水に加入[2]。 2014年、課題としていた守備面で成長、本職の[7][8]ボランチで定位置を奪取し[9]、チーム最多のインターセプトを記録するなど[10] 攻守に存在感を発揮した[11]。J1第31節の川崎フロンターレ戦でプロ初ゴールを決めた[12]。2015年後半は左右のサイドバック(SB)でのプレーにも柔軟に対応[13]。同年末には湘南ベルマーレ、ジェフユナイテッド市原・千葉からオファーが届いたが、清水の慰留に応じた[14][13]。 2016年はボランチに戻って出場を重ねていたが、同年半ばからは守備対応と展開力を評価され[7][8]、負傷者が続出し適役不在となっていた右SBに入り、チームを支えた[15]。2020年12月13日、クラブから契約満了が発表された[16]。
ギラヴァンツ北九州
2020年12月30日、ギラヴァンツ北九州への加入が発表された[17]。
2022年11月11日、2022年シーズンでの契約満了が発表され、2023年3月8日、現役を引退することが発表された[18]。
指導者
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人物・エピソード
所属クラブ
- クリストロアSC (西東京市立本町小学校)[2]
- 2003年 - 2005年 FC東京U-15 / FC東京U-15深川[注 1] (西東京市立保谷中学校)[2]
- 2006年 - 2008年 前橋育英高等学校
- 2009年 - 2012年 中央大学学友会サッカー部
- 2013年 - 2020年
清水エスパルス
- 2021年 - 2022年
ギラヴァンツ北九州
個人成績
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タイトル
チーム
- FC東京U-15深川
- 中央大学
- SBSカップ (2009年、2010年)
- ユニバーシアードサッカー競技 (2011年)
個人
- 全国高等学校サッカー選手権大会 優秀選手 (2008年)
- 関東大学サッカーリーグ戦 新人賞 (2009年[23])
- 関東大学サッカーリーグ戦1部 ベストイレブン (2012年[24])
代表歴
- U-18日本代表
- SBSカップ(2009年)
- 仙台カップ(2009年)
- AFC U-19選手権2010 (予選)(2009年)
- U-19日本代表
- ダラスカップ(2010年)
- ミルクカップ(2010年)
- SBSカップ(2010年)
- AFC U-19選手権2010(2010年)
- 全日本大学選抜
- デンソーカップサッカー (2011年)
- ユニバーシアード日本代表 (2011年)
- U-22日本代表候補
指導歴
- 共栄大学
- 2024年 - コーチ
- U-21 関東⼤学選抜 コーチ(IBARAKI Next Generation Cup2024)
脚注
関連項目
外部リンク
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