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兵庫県立加古川東高等学校
兵庫県加古川市にある高等学校 ウィキペディアから
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兵庫県立加古川東高等学校(ひょうごけんりつ かこがわひがしこうとうがっこう)は、兵庫県加古川市加古川町粟津に所在する公立高等学校。
2021年(令和3年度)時点、スーパーサイエンスハイスクール(SSH)指定を受けている[3]。主な略称は「ヒガシコウ」「カコヒガ」「カコトン」。
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概要
加古川市にある公立高等学校の1校である。1924年、兵庫県立加古川中学校(旧制中学校)として開校した。
校訓
- 自治創造
- 明朗親和 - 旧制加古川中学校時代の「質実剛健」に代わって制定された[4]
教育方針
当校の教育方針は以下の通り[5]
- 校訓「自治創造、明朗親和」を基調に知育・徳育・体育の調和を図る
- 生きる力を育み、21世紀を担うこころ豊かな人づくりを図る
- 自己教育力を高め、生徒一人一人の個性の伸長と自己実現を図らせる
沿革
略歴
兵庫県立加古川東高等学校は、1924年、旧制中学校である兵庫県立加古川中学校として設立された。当校設立には、加古郡および印南郡の強い要請があった。1905年(明治38年)、兵庫県の通常県会にて「加古印南ノ地ニ中学校増設ニ関スル意見書」が議決された[注釈 1]。1922年(大正11年)、県は設立にあたり、土地8000坪および建設費の30万円を各町村負担とした。加古郡および印南郡の各町村は、それらのために奔走し、同年12月18日、建設費の各町村負担分および土地の目録をそえて、県知事に提出し、ようやく設立に至った[6]。第二次世界大戦降伏後の学制改革によって、兵庫県立加古川東高等学校となった。1951年から1957年まで通信教育部も設置されていた。1986年に、普通科内に理数コースを設置され、2010年に理数科となった。2006年には、文部科学省よりSSH(スーパーサイエンスハイスクール)の研究指定を受けた。
年表
旧制加古川中学校
加古川東高等学校
- 1948年(昭和23年)
- 4月1日 - 学制改革により新制高等学校に移行し、兵庫県立加古川東高等学校と改称。
- 7月1日 - 兵庫県立加古川西高等学校と職員・生徒を折半交流し、男女共学となる。
- 1951年(昭和26年)5月15日 - 兵庫県立長田高等学校定時制分校(通信教育部)を本校に設置し開校式を行う。
- 1957年(昭和32年)3月31日 - 分校(通信教育部)統合のため廃止される。
- 1986年(昭和61年)4月1日 - 普通科内に理数コースを設置。
- 2003年(平成15年)4月1日 - 理数コースを自然科学系(ジェネラルサイエンス)コースに改編。
- 2006年(平成18年)4月3日 - 文部科学省よりSSH(スーパーサイエンスハイスクール)の研究指定を受ける(5年間、2012年・2017年に再指定)。
- 2010年(平成22年)4月1日 - 理数科を設置(自然科学系コースを発展的解消)。
- 2020年(令和2年)4月1日 - STEAM教育実践モデル校の指定を受ける(3年間)[9]。
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基礎データ
所在地
兵庫県加古川市加古川町粟津232の2
設置学科
通学区域
普通科の通学区域は、以下の通り。
- 兵庫県
- 明石市・加古川市・西脇市・三木市・高砂市・小野市・加西市・加東市・多可郡・加古郡
アクセス
象徴
学校行事
- 4月 始業式・入学式・文化部発表会
- 6月 体育祭
- 9月 球技大会
- 10月 前期終業式・後期始業式・一日遠足
- 12月 探求デー
- 3月 球技大会・終業式・卒業式
部活動
(出典:部活動加入状況[12])
高校関係者と組織
高校関係者組織
当校および前身校の加古川中学校(旧制)の同窓会として、「兵庫県立加古川東高等学校清流会清流会」がある。
著名な出身者
実業
- 大枝宏之(日清製粉グループ本社社長)
- 粟田貴也(トリドールホールディングス創業者)
- 松井昭憲(元ピムコジャパンリミテッド取締役兼最高経営責任者)
研究者
政治家・官僚
司法
芸能・マスコミ
芸術
スポーツ
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脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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