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兼田亜季重

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

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兼田 亜季重(かねだ あきしげ、1990年2月26日 - )は、広島県福山市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー

概要 兼田 亜季重, 名前 ...
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来歴

広島県福山市の少年チームを経て2002年、サンフレッチェ広島ジュニアユースに入団する[1]。同級生に横竹翔がいる。2003年、ナイキプレミアカップジャパン優勝に貢献、決勝戦はPK戦となったが1本止めて勝利に貢献している。それにより出場権を得たマンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップでは最終戦である順位決定戦1試合のみ出場している[2]

2005年、広島ユースに昇格[1]。同級生に横竹・内田健太篠原聖中野裕太。2006年高校2年時途中、1学年上で正GKを務めていた金山隼樹が怪我により欠場したことからレギュラーを掴み、Jユースカップ優勝に貢献した。2007年高校3年時はキャプテンとして活躍したが、正GKは1学年下の原裕太郎に奪われる結果となった。

2008年、J2愛媛FCに加入[1][3]。当時愛媛GKコーチの山中亮は、兼田が広島ジュニアユース時代の恩師であった[4]。のち笹原義巳に指導を受ける[3]。ただ川北裕介秋元陽太の前に控えGKに甘んじていた[3]

2014年、モンテディオ山形へ完全移籍[1][3]。再び笹原から指導を受けることになった。清水健太常澤聡に次ぐ第3GKという序列だったが、清水の負傷離脱後は浦和レッズから加入した山岸範宏の控えとしてベンチに入ることが多かった。

2016年、この年からJ1に昇格したアビスパ福岡へ完全移籍。ここでもイ・ボムヨン神山竜一の控えに回りベンチ外の試合が殆どであったが、J2降格決定後の最終節・柏レイソル戦で移籍後初出場。プロ9年目にしてJ1リーグ戦デビューを果たした。2017年は前年の福岡のJ2降格に伴い3年ぶりに同リーグでのプレーとなった。中盤戦に杉山力裕からポジションを奪取し自身のキャリアで最多の公式戦15試合に出場したが、終盤戦は控えに周りシーズン終了後に契約満了により退団[5]

2018年大分トリニータに移籍したが[6]、公式戦の出場及びベンチ入り機会は無かった。同年オフにはJFAの移籍リストに名前が掲載された[7]。 また同年12月12日、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトにも出場した[8]が、移籍先は見つからず2019年2月15日に大分より現役引退が発表された[9]

2024年 7月10日 午前4時半頃、札幌市豊平区羊ケ丘にあるトンネル内で酒気帯び運転の疑いで逮捕

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所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...

タイトル

クラブ

アンダーカテゴリー
  • ナイキプレミアカップジャパン (2003年優勝)
  • Jユースカップ (2006年優勝)

代表歴

  • U-16日本代表候補 (2005年)
  • U-18日本代表候補 (2007年)

脚注

関連項目

外部リンク

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