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常澤聡
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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常澤 聡(ときざわ さとし、1985年7月31日 - )は、群馬県藤岡市出身のプロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー(GK)。
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来歴
小学校3年生の時にサッカーを始めた[2][4]。2001年、前橋育英高校に進学。2003年(3年生時)には群馬県選抜の一員として国体で準優勝。同年末、同期の石亀晃、小泉訓、小林竜樹、武田英明らと共に全国高校サッカー選手権に出場した。
2004年に東京ヴェルディ1969に入団。しかし高木義成の前に出場機会を得られず、2005年にはJ2降格を喫した。
2007年、ザスパ草津に加入[5]。本田征治、北一真らと正GKの座を争ったが、レギュラーには定着できなかった。本田が退団した2010年は、北を制して正GKに入り27試合に出場。シーズン終了後、自身の意思により草津を退団した[6]。
2011年よりGKコーチの山岸範之と共にFC東京へ加入したが[3]、塩田仁史・権田修一に次ぐ第3GKの立場に留まった[7]。同年結婚[4]。
2013年からモンテディオ山形へ完全移籍[8][9]。素早い反応と長い手足によるシュートストップでアピールし[10]、第3節長崎戦から出場機会を得ると、好セーブを連発してチームの4連勝に貢献[4]。清水健太に替わる正GKとして定着した。しかし2014年は監督交替もあり清水が復権。清水負傷時に一時ベンチ入りするも、山岸範宏が加入して以降は兼田亜季重が控えを務めることが多くベンチ外が続いた。
2015年、FC岐阜へ完全移籍[11][12]。太田岳志や川口能活に変わって夏場以降先発に定着し、好不調の波はあったものの失点減に貢献した[13]。しかし、2016年になると高木、2017年にはビクトル・イバニェスにそれぞれ後塵を拝し、2017年オフに契約満了により退団。 Jリーグ合同トライアウトに出場した[14]。
2018年、ザスパクサツ群馬へ完全移籍[15]。松原修平が全試合に出場したため出番はなくシーズン終了後、契約満了により退団した[16]。
2019年、FCマルヤス岡崎へ完全移籍[17]。GKコーチも兼任する[18]。
2022年、マルヤスとの契約が満了[19]。
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エピソード
所属クラブ
個人成績
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代表・選抜歴
- 2003年 群馬県選抜 - 国民体育大会サッカー競技 (準優勝)
タイトル
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会 (2004年、2011年)
- スーパーカップ (2005年)
- Jリーグ ディビジョン2 (2011年)
脚注
関連項目
外部リンク
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