トップQs
タイムライン
チャット
視点
十二節
ウィキペディアから
Remove ads
十二節(じゅうにせつ)は、四季・気候等の視点で地球上の一年を、月の満ち欠けサイクル(朔望月)とは無関係に十二分し、二十四節気を十二分して60干支に変換した節切り法であり[1][2]、二十四節気中の十二節気の事でもある[1][2]。年始・年界を立春期間に切り替わる瞬間(日・時)とする。十二気暦にて用いられ、また東洋占術である四柱推命や紫微斗数等でも用いられる。
概要
十二節は中国の北宋の沈括が元祐元年(1086年)に提案した太陽暦の暦法である十二気暦等にて使用されており、二十四節気と同様に太陰暦の季節からのズレとは無関係に、季節を春夏秋冬の4等区分する暦のような物として考案された区分手法。
二十四節気では節気が一年を12の「節気」(正節とも)と12の「中気」に分類するのに対し、十二節では12の中気を12の節気に含めて判断する。
それらに干支の十二支を表す名前が付けられ、春が寅節・卯節・辰節、夏が巳節・午節・未節、秋が申節・酉節・戌節、冬が亥節・子節・丑節となる。
二十四節気や旧暦と同様に年始を立春期間に切り替わる瞬間(日・時)とし、先天・後天八卦論に基づき、二十四山の艮(甲領域)から陽の氣が陰の氣を上回る事象に基づいて、寅節初日の二十四節気である立春を年界とする「立春方式」が年界に多く使用されている[3][4][5][6][7][8][9][10][11][12]。また年界を1度で切り替わるとは捉えず「冬至で徐々に変わり始め、立春で年が完全移行する」という説を提唱する識者も存在する[13]。
→詳細は「年界」を参照
Remove ads
十二気暦について
十二気暦に関しては年始を立春とし、大の月を31日、小の月を30日とし、閏月を廃止した。太平天国の天暦に影響を与えたとされる。
今為術,莫若用十二気為一年,更不用十二月。直以立春之日為孟春之一日,驚蟄為仲春之一日,大盡三十日,歳歳斉盡,永無閏餘。十二月常一大一小相間,縦有両小相並,一歳不過一次。如此,則四時之気常正,歳政不相凌奪。日月五星,亦自従之,不須改旧法。唯月之盈虧,事雖有系之者,如海、胎育之類,不預歳時寒暑之節,寓之暦間可也。藉以元祐元年為法,当孟春小,一日壬寅,三日望,十九日朔;仲春大,一日壬申,三日望,十八日朔。如此暦術,豈不簡易端平,上符天運,無補綴之労?余先験天百刻、有餘有不足,人已疑其説。又謂十二次斗建当随歳差遷徙,人愈駭之。今此暦論,尤当取怪怒攻罵。然異時必有用余之説者。 — 沈括、『夢渓筆談』補筆談
脚注
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads