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十刹
五山制度に基づく寺格 ウィキペディアから
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十刹(じっせつ、じっさつ)は、五山制度に基づく寺格の一つである。五山に次ぎ、諸山の上に位置する。日本では臨済宗の寺格をいう。
概要
元来は南宋の寧宗の頃にインドの五精舎十塔所の故事に倣って「五山」とともに「十刹」を定めて保護を与えたのが由来と言われている[1]。
日本では、建武の新政の段階で既に南禅寺、浄妙寺(両寺は後に五山に昇格)、豊後国の万寿寺が「十刹」に指定されていたことが明らかとされており、「十刹」成立を鎌倉時代末期とするのが通説とされている[1]。
室町幕府によって「天下十刹」が定められたものの、その時々に応じて入る寺院や順位などが変動した。至徳3年7月10日(1386年)に五山制度の改革にあわせて十刹制度の改革を行って、「京都十刹」と「関東十刹(鎌倉十刹)」に分けられて京都と関東(鎌倉以外の寺院も含む)がそれぞれ10ヶ寺ずつ定められた[1]。だが、地方の寺院は「天下十刹」に入っていたものでも結果的にその資格を取り上げられたためにこれに強く反発し、後に枠外として「十刹」に追加される寺院も現れた。そのため、明応元年(1490年)には46ヶ寺、更に後には60ヶ寺まで増加することになった。
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中国の十刹
中国語版ウィキペディア『十刹 (中国)』より[注釈 1](なお、山号・寺号については無著道忠『禅林象器箋』記載のものを使用)。
天下十刹
要約
視点
暦応4年8月23日(1341年)
延文3年9月2日頃(1358年)
康暦2年1月26日頃(1380年)
康暦2年1月26日頃(1380年)の十刹は以下の通りである。この時、十刹に加えて準十刹6ヶ寺が定められた[1]。
準十刹
至徳3年7月10日頃(1386年)
至徳3年7月10日頃(1386年)の十刹は以下の通りである。この時、京都十刹及び鎌倉十刹が定められた[1]。
京都十刹
関東十刹
文明末年(1486年)
- 等持寺
- 臨川寺
- 禅興寺(→後に廃寺)
- 聖福寺
- 東勝寺(→後に廃寺)
- (鎌倉)万寿寺(→後に廃寺)
- 長楽寺(→後に天台宗改宗)
- 真如寺(相国寺派寺院として残る)
- 北禅寺(山城国安国寺)(→後に廃寺)
- (豊後)万寿寺
- 清見寺
- 定林寺(→後に廃寺)
- 宝幢寺(鹿王院として残る)
- 崇禅寺(未詳)
- 瑞泉寺(円覚寺派)
- 普門寺(東福寺の常楽庵として残る)
- 広覚寺(→後に廃寺)
- 大徳寺
- 妙光寺(建仁寺派寺院として残る)
- 宝林寺
- 国清寺
- 興国寺
- 承天寺
- 乗福寺
- 光孝寺(曹洞宗山名寺として残る)
- 天寧寺(曹洞宗に改宗)
- 円福寺(瑞巌寺として残る)
- 興聖寺
- 雲巌寺
- 善福寺(→後に廃寺)
- 東光寺(→廃寺となり現在は鎌倉宮となっている。)
- 弘祥寺(→後に廃寺)
- 興化寺(→後に廃寺)
- (丹波)安国寺
- 能仁寺
- 光明寺(未詳)
- 法雲寺
- 崇福寺
- 興徳寺
- 米山寺(→後に廃寺)
- 海会寺
- 開善寺
- 補陀寺
- 大慈寺
- 正観寺(南禅寺派寺院として残る)
- 天福寺
脚注
参考文献
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