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和田孝志
日本の野球選手 ウィキペディアから
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和田 孝志(わだ たかし、1970年10月7日 - )は、埼玉県春日部市出身の元プロ野球選手(投手)。
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来歴・人物
拓大紅陵高では高橋憲幸と投の二本柱を組み活躍するが、肩の故障もあって3年生時には控えに回る。1988年夏の甲子園には一塁手として出場。2回戦(初戦)で松山商を降すが、3回戦で浜松商に惜敗。高校の2学年先輩に飯田哲也と佐藤幸彦がおり、佐藤とはプロで再びチームメイトとなる。
東洋大に進学。東都大学リーグでは、2年時の1990年春季リーグで優勝した亜大の4年生エース小池秀郎と投げ合い、リーグ10人目のノーヒットノーランを達成する。翌1991年春季リーグでは同季リーグMVPの1年銭場一浩とともに投手陣の中軸となり優勝に貢献。直後の全日本大学選手権2回戦(初戦)で佛教大に思わぬ敗退を喫した。リーグ通算49試合登板、14勝15敗、防御率2.68、172奪三振。大学の1学年先輩に桧山進次郎と徳田吉成、1学年後輩に関口伊織、3学年後輩に清水隆行と川中基嗣と塩崎真がいた(塩崎は中退)。
1993年、ドラフト3位で千葉ロッテマリーンズに入団。1995年は1A・バイセイリア・オークスに野球留学した。二軍暮らしが長かったが1996年に一軍初登板。2000年には主に中継ぎで21試合に登板、翌2001年にも自己最高の38試合に登板するが、2002年は登板機会が減少し、同年限りで現役引退。
引退後はロッテのチームスタッフとしてスコアラー、打撃投手、査定を担当。2005年の日本一を経験し同年退団、飲食業の道へ。
H・Iグループ(社長は石井浩郎)を経て、渋谷宮益坂に和食ダイニング「美醤(びしょう)」を2007年6月開業[1]。また、ハタケヤマのスーパーバイザーも勤める[2]。
2009年にはロッテの二軍投手コーチ補佐を務めた。
2019年8月7日、母校である拓大紅陵高校野球部の監督に就任した[3]。
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詳細情報
年度別投手成績
記録
- 初登板:1996年9月7日、対オリックス・ブルーウェーブ21回戦(グリーンスタジアム神戸)、8回裏2死から3番手として救援登板・完了、1/3回無失点
- 初奪三振:同上、8回裏に高田誠から
- 初先発:2000年8月6日、対大阪近鉄バファローズ19回戦(大阪ドーム)、6回2失点で敗戦投手
- 初勝利:2000年8月29日、対福岡ダイエーホークス22回戦(千葉マリンスタジアム)、4回表1死から2番手として救援登板、3回2/3を無失点
背番号
- 26 (1993年 - 2002年)
- 111 (2003年)
- 82 (2009年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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