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四条隆憲

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四条 隆憲(しじょう たかのり)は、安土桃山時代公家内大臣正親町三条公兄の孫。松陰居士の子。官位従五位上左近衛少将四条家を継いだが、歴代当主には数えられない(後述)。櫛笥家[注釈 1]として櫛笥 隆憲(くしげ たかのり)とする場合もあるが、隆憲自身が生前に櫛笥を家名にしたわけではない。

概要 凡例四条 隆憲/櫛笥 隆憲, 時代 ...
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経歴

松陰居士正親町三条公兄の子)の子として誕生。正確な誕生年は不明だが、弟の櫛笥隆致天正10年(1582年)生まれのため、天正9年(1581年)かそれ以前と推測される。のちに勅勘を被り出奔した四条隆昌の養子として四条家を継ぐ。天正13年(1585年叙爵。天正18年(1590年従五位上左近衛少将に昇叙するも、翌天正19年(1591年)卒去。法名は乗海戒名喬雲院仏光照心[1]

櫛笥家祖

隆憲の死後、同母弟の隆致が家督を継いだ。しかし、慶長6年(1601年)に隆昌が釈免されて四条家当主に復帰したため、隆致は別家を立てた。これが櫛笥家である。

後世の系図では隆昌の後を隆術が継いだとするものが多く[1][2]、隆憲・隆致兄弟は隆昌が当主に復帰するまでの中継ぎとみなされたのか、四条家当主ではなく櫛笥家当主として数えられ、隆憲は櫛笥家祖とみなされる[3][4][5]。ただし、子孫の櫛笥節男は隆致を家祖としている[6]

なお、櫛笥を家名にするのは、3代・隆朝の時からである[7]ため、隆憲の家名は、隆致が別家を立てた後も四条である。櫛笥隆憲と表記するのは全く誤りとはいえないものの課題が残る。

官歴

『諸家伝』による

系譜

『宮廷公家系図集覧』による

参考文献

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脚注

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