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坂巻明
日本のプロ野球選手 (1955-) ウィキペディアから
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坂巻 明(さかまき あきら、1955年5月12日 - )は、埼玉県草加市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
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来歴・人物
二松學舍大附高では1年夏から4番・一塁手としてチームを東京都大会決勝戦まで導くが、日大一高の保坂英二の前に敗戦[2]。青山学院大学へ進学するが父の病により2年次に中退。実家の食料品店を手伝いながら、親戚の病院で臨床検査技師としても勤務した[3]。1976年オフに周囲の人の勧めで、入団テストを受け合格[3]。西井敏次とともにドラフト外で日本ハムファイターズに入団した[1]。
入団直後は打撃投手としての役割が多かったが、1980年には2軍で8勝を挙げ、チームのイースタン・リーグ優勝に貢献[3]。
その後もなかなか一軍出場の機会を得られず、1981年のオフには退団を申し出るが、球団に慰留され残留[3]。
1982年4月10日の南海戦で念願のプロ初登板を果たすと、1983年10月18日のロッテ戦でプロ初勝利を挙げた。翌84年にはローテーションに定着し7勝を挙げる[1]。同年8月にはチームの14連敗(球団ワースト、3引き分けを挟む)を止める完投勝利も挙げた。翌1985年シーズンは前年の蓄積疲労も重なり、肘の痛みを抱えながらの登板となったが、6月4日の西武戦で右肘を負傷し降板[3]。なお相手先発・郭泰源はこの試合でノーヒットノーランを達成している。その後はリハビリを続けるが、一軍復帰とはならず、1987年に自由契約。球団からはポストも用意されていたが、現役にこだわりロッテオリオンズにテスト入団。球団初となる背番号「0」を背負った。しかし一軍登板はなく1988年限りで現役を引退[1][4]スリークォーターからカーブ、フォーク、決め球はシュートボールを投げた。また投手でありながら打撃センスも良く、日本ハム時代には二軍でサヨナラ打を二回打っている[3]。
引退後は有藤道世の推薦でロッテの打撃投手、その後スコアラーとスカウトを往復し、査定担当や寮長を歴任。2018年限りで退団[5]。
現在は球界を離れ、孫たちと静かに暮らしている[3]。
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詳細情報
年度別投手成績
記録
- 初登板:1982年4月10日、対南海ホークス前期1回戦(大阪スタヂアム)、6回裏に4番手で救援登板、2回2失点
- 初奪三振:同上、6回裏に香川伸行から
- 初先発:1982年8月8日、対ロッテオリオンズ後期5回戦(宮城球場)、4回2/3を2失点
- 初完投:1982年9月30日、対ロッテオリオンズ後期11回戦(川崎球場)、8回2/3を2失点(自責点1)で敗戦投手
- 初勝利・初先発勝利:1983年10月18日、対ロッテオリオンズ26回戦(川崎球場)、5回3失点(自責点2)
- 初完投勝利・初完封勝利:1984年6月6日、対ロッテオリオンズ10回戦(後楽園球場)
- 初セーブ:1985年4月6日、対ロッテオリオンズ1回戦(川崎球場)、7回裏2死に2番手で救援登板・完了、2回1/3を無失点
背番号
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脚注
関連項目
外部リンク
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