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堤康久

1922-, 俳優。 ウィキペディアから

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堤 康久つつみ やすひさ[1][2]1922年大正11年〉3月30日[1][3] - 没年不詳は、日本の元俳優である。本名同じ。実兄は京都産業大学名誉教授堤重久。妻は東宝専属女優の江島和子[4]東京出身[1]

概要 つつみ やすひさ 堤 康久, 本名 ...

経歴

東京府東京市(現在の東京都)で新宿開業医の家庭に生まれ育ち、立教大学中退後、前進座に参加。

旧制中学校在学中、15歳の時から綴っていた全7冊ほどの日記は、太宰治の一番弟子と言われた兄重久の紹介により、太宰の長編小説『正義と微笑』(1942年)の題材となった[5]。この作品の中で、康久の日記におけるマルクス主義への傾倒は、キリスト教への傾倒に置き換えられている[6]。また前進座では「中村文吾」の芸名だったが、戦後は『正義と微笑』の主人公の名である「芹川進」で活動したこともある[7]

戦後は東宝の専属俳優となり、脇役として多数の映画、テレビドラマに1960年代後半ごろまで出演。警官役や軍人役が多い[8]

引退後は書店を経営していたという。

人物

後輩俳優の加藤茂雄によれば、堤は江戸っ子弁で弁が立つ人物であったといい、『ゴジラ』(1954年)の鳥羽ロケから帰ってきた際には草間璋夫が足を負傷した話を「かまいたち」に遭ったと物語風に語っていたという[9]

堤は本多猪四郎監督作品の常連で、本多はよく自宅に俳優らを招いていたが、加藤によれば堤は「監督に媚びてまで仕事は欲しくない」という主張であたっため、加藤も東宝時代には本多宅を訪れることはなかったと述べている[9]。一方で、妻の江島和子によれば、本多の誕生日に招かれたことがあったという[4]

出演

映画

テレビドラマ

その他

脚注

参考文献

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