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多治比今麻呂

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多治比 今麻呂(たじひ の いままろ)は、奈良時代から平安時代初期にかけての公卿参議多治比土作の八男。官位従三位参議

概要 凡例多治比今麻呂, 時代 ...

経歴

延暦13年(794年中判事次いで式部少丞に任ぜられる。延暦16年(797年従五位下肥後介に叙任。桓武朝末に京官に復し、式部権少輔・勘解由次官右少弁を歴任する。

延暦25年(806年平城天皇の即位後まもなく、美作介となり再度地方官に転じる。大同3年(808年)に従五位上・大宰少弐に叙任されて大宰府に赴任した。

嵯峨朝に入ると、大同5年(810年)正月に正五位下・右中弁に叙任され再度京官に復し、同年9月に発生した薬子の変に伴って従四位下に昇叙される一方、新たに皇太子に冊立された大伴親王(のち淳和天皇)の春宮大夫も兼ねた。その後、式部大輔・大蔵卿左京大夫を歴任したのち、弘仁8年(817年)参議に任ぜられて公卿に列した。議政官として大蔵卿・宮内卿を兼帯し、弘仁11年(820年)には従四位下から続けて昇叙されて従三位となり、同年末には大宰帥に転じている。

天長2年(825年)8月29日薨去。享年73。最終官位は参議従三位[1]

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官歴

註釈の無いものは『六国史』の記載に従う。

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脚注

参考文献

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