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大沢 (横手市)

秋田県横手市の地名 ウィキペディアから

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大沢(おおさわ)および山内大沢(さんないおおさわ)は、秋田県横手市大字。旧平鹿郡山内村大字大沢、旧平鹿郡大沢村に相当する[2][5]。元は平鹿郡山内村に属する同一の大字、それ以前は平鹿郡に属する同一の村であったが、1959年11月1日に山内村大字大沢の一部が横手市〈旧〉に編入されたため、2つの大字に分裂。その後、2005年10月1日に両市村を含む市町村合併が行われ、両大字とも横手市に属し、旧山内村大字大沢は山内大沢となった。本項では便宜上、同一の記事で解説する。

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地理

横手市の中央東部、横手地域と山内地域の境界部に位置する。地域の大部分は奥羽山脈の丘陵地で占められており、中央部を横手川が大きく蛇行しながら北西方向へ流れている。横手川沿いではブドウ大沢葡萄)の栽培が盛んで、県内有数の産地として知られている[8]。また、周辺の丘陵地ではリンゴの栽培も行われている[8]。さらに、横手川と沼山川が合流する北西端の湿地帯では稲作が行われている[8]。交通面では、横手川沿いをJR北上線および国道107号平和街道)が並行して通っており、地域の南端部には秋田自動車道も通過している[8]。大沢には回立・羽根山・大沢[8]、山内大沢には上長瀞・下長瀞の各集落が形成されている[5]梵天行事で知られる旭岡山神社が鎮座している[2]

全域が都市計画区域に含まれるが、区域区分非設定区域となっている[9]都市計画法上の用途地域には指定されていない[10]

小字

2024年令和6年)10月5日時点での「横手市(秋田地方法務局大曲支局)登記所備付地図データ[11]デジタル庁公表の「アドレス・ベース・レジストリ」の「秋田県 横手市 町字マスター(フルセット) データセット[12]、横手市公表のオープンデータ[13]によれば、大沢および山内大沢の小字は以下の通りである。

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歴史

要約
視点

正保4年(1647年)の『出羽国知行高目録 下』には、高196石余(田方137石余、畠方59石余)、国絵図には大沢として村名が見られる[14]享保15年(1730年)の『六郡郡邑記』によると、大沢村(家数30軒)のほか、支郷延宝8年(1680年)に菅生庄之助が注進開によって開発した庭当田村(家数5軒)、天和3年(1683年)に同じく注進開で開発した沼山村(家数5軒)、廻立村(同15軒)、羽根山村(同13軒)があった[14]菅江真澄の『雪の出羽路 平鹿郡』では、その後新たに長泥(長瀞)村、矢櫃村の2支郷が加えられている[15]。羽根山村は横手川河谷の平地出口左岸に位置し、多数の石器や土器が発掘されている[15][16]。また、雪の出羽路によると、この地には羽根山長者伝説(金山長者とも)が伝えられており、それにちなんだ長者清水、姫が墓、布曝(ぬのざらし)といった地名が見られる[15][16]

郡邑記には、かつては岩瀬御前の化粧田だったこと、正保4年に旭岡山神社社領として5石を神主鈴木越前守に与え、神祭を行わせていたと記載されている[14]。岩瀬御前は佐竹義宣側室で、離縁後は大沢村に200石をもらい横手で生涯を送ったが、大沢に居住していたかはわからない[14]。『梅津政景日記』には元和6年(1620年)閏極月七日条に城代須田美濃からの要請で医者1人を派遣した記事がある[14]

年表

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世帯数と人口

要約
視点

2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

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人口・世帯数の推移

以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の人口の推移。

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以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の世帯数の推移。

さらに見る 年, 世帯数 ...
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小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[37]

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交通

鉄道

北上線が通っているが、駅はない。最寄り駅は奥羽本線北上線横手駅、もしくは北上線の相野々駅。かつては矢美津駅があったが、2022年令和4年)3月12日に廃止されている[31]

道路

施設

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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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