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宗宮房之助
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宗宮 房之助(そうみや ふさのすけ、1920年 - 1982年5月20日[1])は、愛知県出身のプロ野球選手(二塁手、三塁手、遊撃手)。
来歴・人物
中京商業(現・中京大学附属中京高等学校)在学中、1938年に第15回選抜中等学校野球大会に出場。チームの優勝に貢献した。優勝時のメンバーに野口二郎(のち翼軍,西鉄軍,阪急)、原田徳光(のち中日)、石井豊(のち翼軍、大洋軍。戦死)がいる。
1940年3月15日にイーグルスに入団[1]。 いきなり開幕戦の南海戦(甲子園球場)に出場した。内野のユーティリティプレイヤーかつバイプレイヤーとして3年間活躍。1942年限りで現役引退した[1]。引退後は太平洋工業で専務を務めた[1]。
詳細情報
年度別打撃成績
- イーグルスは、1940年途中に黒鷲(黒鷲軍)に、1942年に大和(大和軍)に球団名を変更
背番号
- 31 (1940年 - 1942年)
関連項目
脚注
外部リンク
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