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宗隆寺

川崎市高津区にある寺院 ウィキペディアから

宗隆寺map
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宗隆寺(そうりゅうじ)は、神奈川県川崎市高津区溝口にある日蓮宗の寺院。かつての大山街道溝口宿の中心的な寺院で、隣接する溝口神社別当でもあった。

概要 宗隆寺, 所在地 ...

概要

山号は興林山。旧本寺大本山池上本門寺、旧寺格は紫金襴寺跡。池上中道不二庵法類の神楽坂法縁に属する。稲毛門中朗師講[2] の一である。

益子焼陶芸家として第1回の人間国宝に認定された濱田庄司の墓がある。また、ヤクルトスワローズの選手である村上宗隆の名前と同名であることから、ファンが御朱印を求めに訪れる。

歴史

『新編武蔵風土記稿』に記された寺伝によれば、元は天台宗本立寺という古刹であった。明応5年(1496年)1月7日に時の住持・興林僧都が、千眼天王(帝釈天)から「日蓮宗に帰依(改宗)すべし」という夢告を得た。また同夜、当地の在郷領主・階方新左衛門宗隆も全く同じ夢告を得た。この奇瑞を重く受け止めた2人は、宗隆の菩提寺である長栄山本門寺に馳せ参じ8世日調に事の次第を告げた。興林僧都は日調の弟子となり「日濃」の名と祖師像一躯を与えられ、寺号も興林山宗隆寺と改めた。また一説には、興林僧都がこの地に巡錫した日調の教化に触れ改宗した、とも伝えられている。なお日濃は大変聡明で名高く、21歳の若さで「関東の知識」と讃えられたという。

祖師堂が建つ境内地の山は「薬師堂山」と呼ばれ、山中には千眼天王社(帝釈天を祀る社)・七面堂・鬼子母神堂・千部塚・第六天塚等があった。また境内には役僧や富士浅間社の社人の寮を有する他に塔頭4坊(法泉坊・本立坊・中正坊・仙光坊)を擁し、溝ノ口村全域の社(赤城社・稲荷社・番神堂・諏訪社・伊勢宮・上屋敷稲荷社・下屋敷稲荷社)の別當寺として祭祀を司るなど、橘樹郡でも有数の大寺であった。またその寺格の高さから、江戸時代の住持である17・20・26世は長興山本行院に栄晋し、司務職として長興山妙本寺を総理統監した。

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伽藍・境内

本堂

昭和36年(1961年)建立。

祖師堂

興林僧都日濃が日調より授けられた祖師像が奉安されている。毎年10月21日に営まれる御会式では、盛大な万灯練り行列が行われる。

山門

明和4年(1767年) 建立。山内最古の建築物である。

芭蕉の句碑

「世を旅に代かく小田の行きもどり」 文政12年(1829年)4月12日に建てられた句碑。

濱田庄司の墓

陶芸家人間国宝文化勲章受章者)

歴代住持

さらに見る 歴代, 法号 (俗姓・道号) ...
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交通

近隣施設

関連項目

脚註

参考文献

外部リンク

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