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宮城光
オートバイライダー、レーシングドライバー ウィキペディアから
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宮城 光(みやぎ ひかる、1962年11月19日 - )は、兵庫県西宮市出身の元オートバイライダー、レーシングドライバーである[1]。
経歴
1982年に鈴鹿サーキットでオートバイ・ロードレースにデビューし、走りを認められモリワキレーシングのマシンに乗るチャンスを得る[2]。1983年の全日本ロードレース選手権ではノービス250ccクラスとTT-F3クラスでチャンピオンを獲得。同年7月末に行われた”ノービスレーサーの祭典[3]”である『鈴鹿4時間耐久レース』では、モリワキチューンのZero X-1(ホンダ・CBX400Fのエンジンをモリワキオリジナルフレームに搭載[4])を福本忠とのコンビで優勝に導き、ロードレースファンにその存在が広く知られるようになる[5]。1984年の全日本ロードレース選手権では国際B級TT-F1とTT-F3両クラスでチャンピオンを獲得。1985年より国際A級に昇格し、以後1987年までモリワキチューンのマシンでTT-F3クラス、TT-F1クラス、GP250ccクラスに参戦。1987年の第11戦鈴鹿・250ccクラスでは、ホンダ・NSR250のエンジンをモリワキ独自のアルミフレームで包み込んだ「モリワキ・ZERO-Z250」で国際A級昇格後の初優勝を挙げる。
1988年より、モリワキを離れホンダワークス(HRC)入りし、最高峰クラスである500ccにNSR500で4シーズン参戦した。1991年シーズンが全日本500ccクラスへの最後の参戦となり、以後はアメリカへ渡り全米選手権に挑戦した。1998年に帰国後は国内4輪レース(スーパー耐久)に参戦。翌年ST-4クラスシリーズチャンピオンに輝く。2001年には十勝24時間レースにホンダ・インテグラで参戦。土屋圭市、金石勝智、伊藤大輔と共にクラス優勝を果たしている[6]。また、全日本GT選手権にも2000年に参戦した経験を持つ[7]。現在はインストラクターとして、安全運転の講習会の講師やドライビングレッスンの指導を行う他、鈴鹿8時間耐久レースの監督やロードレース世界選手権のテレビ解説者としても活動する[8]。
2025年11月24日、八王子警察署の一日署長に就任し、レーサー経験を生かした街中でのスピード感覚の注意点や交通安全への生かし方を一般運転者に伝える役目を担った[9]。
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レース戦績
全日本GT選手権
脚注
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