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1988年の全日本ロードレース選手権
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1988年の全日本ロードレース選手権 (1988ねん の ぜんにほんロードレースせんしゅけん) は、1988年(昭和63年)3月13日の鈴鹿BIG2&4レースで開幕し、同年10月30日のMFJグランプリ (筑波)で閉幕した全15戦(500ccは11戦)による1988年シーズンの全日本ロードレース選手権である。
1988年の全日本ロードレース選手権 | |||
前年: | 1987 | 翌年: | 1989 |
500ccクラスチャンピオンは藤原儀彦(ラッキーストライク・ヤマハ)が獲得[1]、250ccクラスのチャンピオンは本間利彦(UCCヤマハ)が獲得した。
1988年シーズン
WGP500にフル参戦していた平忠彦が本年は国内に復帰し、ヤマハ・YZR500の開発を担当しながらWGPと全日本500にスポット参戦する体制をヤマハが発表し、前年チャンピオンとなった藤原儀彦が正式にヤマハワークスに加入、500ccクラス連覇を目指す[2]。藤原は平とともに全日本とのスケジュールの重ならない8月にヨーロッパでのWGP500へスポット参戦も予定された。
ホンダワークス (HRC)は参戦体制を一新し、前年ジュニアクラス250ccに参戦していた国際A級ルーキーの伊藤真一と新たに契約、最新スペックのNSR500で最高峰クラスにフル参戦させる。モリワキの宮城光もHRC契約となり、伊藤と宮城の2人体制で500ccを戦う。昨年まで4シーズンHRCを背負ってきた木下恵司は、この年からプライベーターとしてRS500Rで参戦する。
スズキはRGV-Γでの2シーズン目を迎え、「Schick ADVANTAGEスズキ・レーシングチーム」を組織。そのエースとしてこれまでヨシムラ・スズキの4ストロークマシンでTT F1やデイトナ200で好成績を残してきた辻本聡を500ccクラスにコンバートさせた。しかし開幕戦の予選で辻本が脚の骨折を負ったため、急遽モリワキの樋渡治を獲得。樋渡はベテラン水谷勝とともにRGV-Γの車両開発も担う。
シーズン中にもライダーの往来があり、1960年代後半より国内ロードレースやマシン開発に長く貢献し、スズキ・ヤマハで活躍した河崎裕之が第4戦鈴鹿大会で、カワサキの清原明彦が第10戦鈴鹿大会でともに引退セレモニーを行い[3]、現役生活を終えたシーズンとなった。
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スケジュールおよび勝者
- 第11戦西仙台大会のTT F-3クラスは豪雨でレース中断、霧と日没のため再スタートができず、中断時点の順位でハーフポイントが付与された。
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シリーズポイントランキング
- 最終戦MFJ-GPでは、特別ポイントとして入賞者に従来のポイント+3ポイントが与えられる。
500cc
- 太字はポールポジション。
- 第1戦鈴鹿2&4でゼッケンNo.18平忠彦は2位でチェッカーを受けたが、ジャンプスタートと判定され1分加算のタイムペナルティを課された。
- 伊藤真一は主にゼッケンNo.20で出走したが、No.22で参戦したレースもあった。
250cc
- 太字はポールポジション。
- ※250ccクラスでの田口益充は、固定ゼッケンではなく毎戦違うNo.で出走した。
125cc
- 太字はポールポジション。
TT F1
- 太字はポールポジション。
TT F3
- 太字はポールポジション。
- 第11戦 (8月14日決勝レース) の仙台ハイランド大会は3周目に豪雨となりレース中断。再開されなかったため2周終了時の通過順位に対してハーフポイントが与えられた。
ジュニア区分
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関連項目
脚注
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