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1984年の全日本ロードレース選手権
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1984年の全日本ロードレース選手権 (1984ねん の ぜんにほんロードレースせんしゅけん) は、1984年 (昭和59年) 3月11日の鈴鹿BIG2&4レースで開幕し、同年10月28日の筑波ロードレース大会で閉幕した全11戦による1984年シーズンの全日本ロードレース選手権である。
1984年の全日本ロードレース選手権 | |||
前年: | 1983 | 翌年: | 1985 |
1984年シーズン
500cc、250cc、125ccの3クラスに加えて、新たに国際A・B級のTTフォーミュラ1とフォーミュラ3が全日本選手権対象種目に加えられた[2]。
500cc
ヤマハワークスからホンダワークス (HRC)に移籍した木下恵司と、前年にチャンピオンを獲得しヤマハのエースとなった平忠彦のチャンピオン争いが展開された。平は開幕戦の鈴鹿2&4をアメリカAMAデイトナ200参戦のため欠場するシーズンスタートとなり、その開幕戦を制した木下が緒戦から20ポイントのアドバンテージを得て進めるシーズン序盤となった。しかしデイトナで5位入賞と着実な結果を残した平は復帰した第2戦から強さを発揮し、連勝を続け獲得ポイントで木下を逆転。ヤマハは平のサポート役に河崎裕之、上野真一、対するホンダも阿部孝夫が木下をサポートする形で「H・Y対決」が続いた。スズキは前年でWGP500におけるワークス活動一時休止決定の影響が色濃く、水谷勝は依然スクエア4エンジン搭載のRGB500での参戦となっており第二集団での戦いを強いられ、前年RGB500でトッププライベーターとして健闘した伊藤巧もランキング10位と苦しい戦いとなった。代わって、ホンダの市販レーサーRS500Rで参戦する長谷川嘉久が時に表彰台圏内を走るなど最終ランキング6位に食い込み翌年からのヤマハ契約ライダーの切符をつかんだ[3]。
9月の第10戦日本グランプリ(鈴鹿)では、前週にWGP500最終戦を戦い終えた片山敬済とレイモン・ロッシュがHRCからスポット参戦し[注釈 1]、ヤマハの平・河崎の獲得ポイントを減らすべく包囲網を敷くが、予選・決勝とも悪天となり両GPライダーとも本領を発揮できなかった。さらに決勝レースでは平の前を走行していた木下が転倒ノーポイントとなり、平の2年連続全日本500チャンピオンが決定した。最終戦筑波では平が転倒し木下が優勝、最終結果ではわずか1ポイント(平175・木下174)という僅差の500ccチャンピオン争いであった[4]。
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スケジュールおよび勝者
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シリーズポイントランキング
- 第10戦の「日本グランプリロードレース大会」では、特別ポイントとして入賞者に従来のポイント+3ポイントが与えられる。
500cc
- 太字はポールポジション。
250cc
- 太字はポールポジション。
125cc
- 太字はポールポジション。
TT F1
- 太字はポールポジション。
TT F3
- 太字はポールポジション。
- 第3戦SUGO大会はA/B級混走で決勝レースが行われたが、A級は参戦者数が規定以下だったため公式結果はレース不成立となった。
ジュニア区分
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関連項目
脚注
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