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富永町 (豊田市)

愛知県豊田市の町名 ウィキペディアから

富永町 (豊田市)
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富永町(とみながちょう)は、愛知県豊田市町名。9の小字が設置されている。

概要 富永町, 国 ...

地理

豊田市の北東部に位置し、稲武地区(旧東加茂郡稲武町の町域にほぼ相当する)に属する。北は牛地町、東は黒田町、南は小田木町、西は田津原町に隣接する。国道153号の途上である水別峠(みずわかれとうげ、豊田市小田木町)から北西に位置する山がちの町である。 町域南部では富永川が隣接する小田木町との町境に沿うように西進し、町域を越えた付近で小田木川に合流する。その富永川の源流は、町域南東部で小田木町との町境にまたがる富永調整池から富永ダムを通じての放流水である。

人家は町域のほぼ中央部に点在する。町域北部はほぼ深い山林に覆われている。町域東部は元々谷地であったのが、富永ダム建設に当たって生じた残土が埋め立てられて平坦地となった[4]。現在ではその場所に名古屋市野外学習センターと関連施設が立地している。 産業は農林業が中心であるが、昭和30年代までは養蚕業も盛んであったという[4]

小字

出典 : [5]

  • 石神(いしがみ)
  • 馬屋ノ尻(うまやのしり)
  • 貝内(かいと)
  • 柿田洞(かきだぼら)
  • 駒坂(こまざか)
  • 所畑(ところばた)
  • 西(にし)
  • 藤ノ塔(ふじのとう)
  • ヨシガタイラ
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歴史

地名の由来

伝説では、永きに渡って富むことを願い、名づけられたとされる[4]

沿革

その他

  • 村域の大部分が山林であることから、往時より近隣村とのあいだで境界に関わる争論が多かった。1765年明和2年)、1771年(明和8年)、1873年(明治6年)、1877年(明治10年)に生じた近隣村との争論の記録が伝わっている[4]
  • 1867年(慶応3年)には、吉田藩に納めるために製造していた火薬が爆発する事故があり、死者や家屋の焼失が出ている[4]
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世帯数と人口

2019年(令和元年)7月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

さらに見る 町丁, 世帯数 ...

学区

さらに見る 番・番地等, 小学校 ...

施設

  • 名古屋市野外学習センター
  • 神明神社
天元期の勧進により建立されたという[11]。また、同社の石祠は1792年寛政4年)の作とされる。

文化財

散布地

その他

日本郵便

  • 郵便番号 : 441-2526[2](集配局:稲武郵便局[13])。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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