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寺本比呂文
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寺本 比呂文(てらもと ひろふみ、1973年6月7日 - )は、熊本県上益城郡甲佐町出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
甲佐高では速球を持ち味として地区大会で優勝した[1]が、県大会は3年春ベスト8が最高[2]。社会人野球の川崎製鉄神戸では3年目の1994年に先発投手の一人として都市対抗出場などに貢献[3]、全国大会ではエース豊田次郎の存在があって登板はなかった。同年で野球部が廃部となったが、ドラフト会議で西武ライオンズから指名を受け、契約金6700万円、年俸1000万円(いずれも推定)で入団契約を結んだ[4]。背番号は工藤公康の47を引き継いだ。
2年目の1996年には出身地・熊本の藤崎台球場で行われたジュニア・オールスターゲームでイースタンの先発を任されたものの、敗戦投手となっている[5]。一軍でも登板機会を与えられ、翌1997年はキャンプ終了後から肩痛に悩まされ、オフまで投球練習ができなかった[6]。加藤初二軍コーチの激励もあって1998年は一軍で初先発・初勝利を挙げ[6]、16試合に登板した。1999年以降は一軍登板がなく、2001年限りで現役を引退した。スライダーが武器。
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詳細情報
年度別投手成績
記録
- 初登板:1996年8月14日、対近鉄バファローズ15回戦(西武ライオンズ球場)、9回表に4番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、9回表に鈴木貴久から
- 初セーブ:1996年9月16日、対福岡ダイエーホークス25回戦(西武ライオンズ球場)、7回表に2番手で救援登板・完了、3回無失点
- 初先発・初勝利:1998年6月18日、対日本ハムファイターズ12回戦(西武ドーム)、5回 被安打6、与四球3、奪三振4、自責点1
背番号
- 47 (1995年 - 2001年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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