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寺泊町
日本の新潟県三島郡にあった町 ウィキペディアから
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寺泊町(てらどまりまち)は、新潟県の中部にかつて存在した三島郡の町。2006年1月1日長岡市に編入され消滅した。西廻り航路の港町、北陸街道の宿場町として知られていた町である。本州の中では佐渡島と最短の距離にあり、佐渡との間を佐渡汽船が定期航路を運航していたほか、古くから佐渡と本土を結ぶ拠点となっていた。

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地理
大河津分水路の開通により海岸線が大きく前進したことで知られている(詳細は大河津分水路#分水路の影響を参照)。
隣接していた自治体
歴史
『吾妻鏡』の中に、貞応3年2月29日(1224年3月20日)の記述として、女真の船が越後国寺泊に漂着して、その際に乗船していた一行が持っていた銀簡に意味不明の4文字が記されていたことが記されている。
沿革
市町村合併
平成の大合併で、県が示した合併構想は4か町村(岩室村・弥彦村・分水町・寺泊町)による合併案であったが[2]、結果的には長岡市への編入となった。
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行政
- 高橋 誠(1988年7月3日から)
経済
産業
古くから漁業が盛んであり、市街地の国道402号沿いに海産物の店舗が軒を連ねる「魚の市場通り」は有名。関越自動車道開通後は数多くの観光客が県外から訪れるようになった。角上魚類の本社が置かれている。
大正前期から1940年(昭和15年)頃までは養蚕が盛んに行われていたが、戦後は開墾や土地改良事業が実施され稲作に重きが置かれるようになったため激減した[3]。
姉妹都市・提携都市
国内
教育
- 寺泊小学校
- 大河津小学校
- 寺泊中学校
- 新潟県立寺泊高等学校(2007年閉校)
生活基盤
電気
かつて寺泊町には電燈会社があった。才賀藤吉が1911年(明治44年)9月事業許可を受け[5]、1912年(明治45年)3月三島電気を設立[6]。1914年(大正3年)2月事業を開始した。寺泊町に発電所(瓦斯力)があり供給区域は寺泊町だった[5]。
交通


鉄道路線
尚、かつては私鉄路線である越後交通長岡線が存在したが、1975年3月31日をもって廃線となっている。JRの寺泊駅(旧大河津駅)は寺泊市街地とは大きく離れた場所にある。
道路
- 高速道路
- 一般国道
- 都道府県道
船舶
寺泊港と佐渡市赤泊地区の赤泊港とを結ぶ「両泊(りょうとまり)航路」があり、佐渡汽船が定期旅客航路を運航していたが、慢性的な赤字により2018年10月2日以降は運休となり、2019年5月1日に廃止された。
詳細は佐渡汽船の項目を参照
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事


海や漁業を活かした観光施設のほか、「北の鎌倉」「日本海の鎌倉」と呼ばれるほど多くの寺院や史跡が存在する[7]。
- 越後七浦シーサイドライン
- 魚の市場通り
- かつては「魚のアメ横」とも呼ばれたが、東京・上野のアメヤ横丁が「アメ横」の商標権を所有している旨に配慮し、近年は「魚の市場通り」を公式呼称としている。
- 町立水族博物館(現・長岡市寺泊水族博物館)
- SOWA美術館(2017年閉館) - トリックアートを体験できる。
- のづみの森展示館
- 野積ドリームランド(閉館)
- 日本海夕陽ブルワリー
- 海浜公園
- 野積海水浴場、中央海水浴場、金山海水浴場、郷本海水浴場
- ヨネックスカントリークラブ
- 港まつり - 海上花火大会が行われる。
- 魚まつり
- 神社仏閣・史跡群
このほか、合併後には「長岡市トキと自然の学習館」などが設けられている。
出身有名人
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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