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小堀清一

日本の将棋棋士 ウィキペディアから

小堀清一
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小堀 清一(こぼり せいいち、1912年2月10日 - 1996年2月2日)は、将棋棋士。九段。神奈川県横浜市出身。金子金五郎九段門下。

概要 小堀清一 九段, 名前 ...

経歴

1929年神奈川県立工業学校5年で、金子金五郎門下で新進棋士奨励会入り。1936年四段[2]

1952年順位戦A級への昇級を決め、39歳で八段に昇る。順位戦A級には通算2期在籍した。1953年にAB級選抜戦優勝、1956年には当時一般棋戦だった王座戦高島一岐代を破って優勝、翌1957年も準優勝。1984年に公式戦の累計勝数による昇段規定が新設されたことに伴い、規定の勝数に達していた小堀が72歳で九段に昇段した(2018年現在、現役中に九段昇段した棋士としては最年長記録)。

明治生まれの棋士で最も遅くまで現役を続けた。現役最後の1986年順位戦の成績は2勝8敗。当時15歳の羽生善治四段とも当たった。敗れはしたものの深夜1時まで熱戦を繰り広げた挙げ句、翌日の午前8時ごろに清掃員にとめられるまで感想戦をしていたという。70歳の時の第40期順位戦C級2組で7勝3敗の成績をおさめ、この勝ち越し成績は有吉道夫が記録を破るまで順位戦勝ち越しの最年長記録(当時)であったとされている。

1987年4月1日、現役引退[2]

1996年2月2日、肺炎で死去[2]。終生独身であった。

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人物

  • 研究熱心で知られ、「将棋学徒」と呼ばれた。四段の時に「小堀流」という腰掛け銀戦法を考案して、腰掛け銀定跡の基礎を築き、現役中は腰掛け銀戦法をずっと愛用し続けた。前述の羽生との対局でも戦型は相掛かり腰掛け銀であった。また、先手の横歩取りに対して、後手で「小堀流4二玉戦法」を愛用し、引退まで指し続けた[3]
  • 無類の将棋好きで、大山康晴に将棋を教わろうと、大山が滞在していた熱海の旅館までいきなり押しかけたという逸話が残っている。

弟子

棋士

さらに見る 名前, 四段昇段日 ...

昇段履歴

主な成績

  • 通算成績 358勝549敗

一般棋戦優勝

  • AB級選抜戦 1回(1953年度)
  • 王座戦 1回(1956年度= 第4回)
合計2回

在籍クラス

さらに見る 開始 年度, (出典)順位戦出典 ...
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参考文献

脚注

関連項目

外部リンク

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