トップQs
タイムライン
チャット
視点
小島伸幸
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
Remove ads
小島 伸幸(こじま のぶゆき、1966年1月17日 - )は、群馬県前橋市出身の元サッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。ポジションはゴールキーパー(GK)。同志社大学商学部卒業。サッカー解説者、アドバイザーとしても活動している。
Remove ads
経歴
要約
視点
小学4年生の時にサッカーと出会い、小学5年生から本格的にサッカーを始める。新島学園高等学校時代にGKに転向した[1]。同志社大学を経て、1988年に日本サッカーリーグのフジタ(後のベルマーレ平塚、現湘南ベルマーレ)に加入。フジタ時代は古島清人の控えに甘んじたが、ベルマーレ平塚となりJリーグ昇格1年目の1994年、不調の古島に代わる形で試合に出場し、正GKとして定着した。第74回天皇杯全日本サッカー選手権大会では決勝でセレッソ大阪を破っての優勝に貢献した。また、Jリーグ入り後も社員選手であったが、1995年1月24日にプロ契約を結んだ。1995年7月にはJリーグオールスターサッカーに先発出場した[2]。12月にはアジアカップウィナーズカップも制した。
1995年に日本代表に選出、6月6日、アンブロ・カップのブラジル戦で初出場を果たし、3失点はしたものの、好守を連発して失点を最低限に抑えた[3]。この試合では接触プレーで左手小指を痛めた(一部では「ロベルト・カルロスのシュートで骨折した」という噂が出回っているが、本人が否定している)。1996年のカールスバーグカップ、ポーランド代表との試合に出場したのが代表での最後のプレーとなった。以降も代表入りし、1998 FIFAワールドカップには第3GKとしてメンバーに選出され、最年長として、ムードメーカーとしてチームを引っ張ったが、出場機会を得ることは無かった。
1998年末、ベルマーレ親会社の経営不振による主力総放出により、1999年にはアビスパ福岡へ移籍。同年のJリーグオールスターサッカーに出場した。2001年限りで福岡を退団した後、Jリーグでのプレー続行を模索しFC東京のテストを受けたが若手GK[注 1] との一騎打ちに敗れた[4]。
2002年、群馬県社会人サッカーリーグ1部のザスパ草津(現:ザスパクサツ群馬)へ移籍、選手兼コーチとしてプレー[4]、JFLへの昇格がかかる地域リーグ決勝大会では、再三の好セーブするなどJFL昇格に貢献、2004年にはJ2昇格に貢献した[5]。2005年11月にはJ2最年長出場記録を更新。2006年1月24日に現役引退を発表した。2005年12月3日の札幌戦が現役最後の試合となった。
現役引退後は群馬のアドバイザースタッフとして普及活動を続ける一方で、2008年より日本大学サッカー部コーチに就任。またサッカー解説業(主としてNHK衛星放送の中継、他にはスカパー!などにも出演)も行っている。柔和な語り口には人柄(次項参照)が滲み出ており、好評である。同年4月にはJFAアンバサダーにも選ばれた。資産運用として人気を集めるFXにチャレンジしブログを書いている。
2015年7月23日、アルテリーヴォ和歌山のアドバイザーに就任。2019年12月25日、ザスパクサツ群馬トップチームのGKコーチに就任した[6]。2021年12月16日、退任が発表された[7]。
Remove ads
人物
- 日本代表の試合ではロベルト・カルロスのブラジル代表としての初ゴール[8]、Jリーグでは中村俊輔のJリーグ初ゴール[9]。エドゥー・マランゴンの有名な40メートルからのFKでのゴール、ジーコ現役最後のFKからのゴール、エムボマの有名なボレーシュートなど[10]、伝説に残るような得点を決められている[11]。また、Jリーグでは、福田正博、中村俊輔、ダニエレ・マッサーロ、サルヴァトーレ・スキラッチらの対戦相手にハットトリックを決められ、合計8回のハットトリックを許した[12][13][14][15][16][17][18][19]。
- GK出身者としては初のJFAアンバサダーに任命されている。
所属クラブ
個人成績
その他の出場
- 1995年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
- Jリーグオールスターサッカー選出 : 3回 (1995, 1999, 2000,)
Remove ads
代表歴
出場大会など
- キング・ファハド・カップ1995
- 1998 FIFAワールドカップ (出場なし、グループリーグ敗退)
試合数
- 国際Aマッチ 4試合 0得点 (1995年-1998年)
出場
Remove ads
タイトル
- フジタ
- ベルマーレ平塚
- 天皇杯 : 1995
- アジアカップウィナーズカップ : 1995
- ザスパ草津
- 関東サッカーリーグ : 2003
- 群馬県社会人サッカーリーグ : 2002
- 全国地域サッカーチャンピオンズリーグ : 2003
- 群馬県サッカー協会長杯サッカー大会 : 2003
- 個人
- 日本フットボールリーグベストイレブン : 2004
- 日本フットボールリーグ敢闘賞 : 2004
- Jリーグ功労選手賞 : 2006
指導歴
- 2002年 - 2004年 ザスパ草津コーチ(選手兼任)
- 2008年 - 2019年 日本大学サッカー部 コーチ
- 2020年 - 2021年 ザスパクサツ群馬 GKコーチ
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads