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小川宗直
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小川 宗直(おがわ むねなお、1962年5月23日 - )は、愛知県瀬戸市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
![]() | この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2020年2月) |
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来歴・人物
享栄高では、エースとして1980年夏の甲子園県予選決勝に進むが大府高に完封負け[2]。名古屋商科大に進学し、愛知大学野球リーグでは在学中2回優勝。リーグ通算48試合に登板し9勝13敗を記録した[1]。
大学卒業後は社会人野球の大仙を経て、1986年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから3位指名を受け入団[1]。横手投げで、スライダー、カーブ、速球が売りの即戦力投手として評価されていた。
1年目に開幕一軍入りを果たし、中継ぎ・ワンポイントで好投を見せ、その実績を買われ5月には先発を任されるが戦力とはならず二軍降格となる。その後も制球難から一軍に定着できず、1989年11月広橋公寿と共に宮下昌己・大宮龍男との交換トレードで中日ドラゴンズに移籍[1]。
しかし中日での登板は僅か1試合に留まり、1990年11月岡田耕司との交換トレードで近鉄バファローズに移籍[1]。近鉄では二軍でも戦力になれず、一軍出場のないまま1991年オフに退団[1]。
1992年は中華職業棒球大聯盟の味全ドラゴンズに入団するも、シーズン途中で解雇され、その年限りで現役引退[1]。
引退後は、2004年より社会人野球の名古屋お茶の水医専学院・名古屋ウェルネススポーツカレッジのコーチを務めていた。2007年より、社会人野球のNAGOYA23の監督に就任するが、川又米利総監督が正式に監督になったため助監督に降格。なお、NAGOYA23は川又の退団後に湊川誠隆が監督を引き継ぎ、チーム名をマッシモンテベースボールクラブに変更した。その後、マッシモンテベースボールクラブは2014年6月4日付けで、活動を休止することになった。
現在は、母校・享栄高校野球部投手コーチ。中日ドラゴンズジュニアチームのコーチも務めている。
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詳細情報
年度別投手成績
記録
- NPB
- 初登板:1987年4月10日、対日本ハムファイターズ1回戦(西武ライオンズ球場)、8回表より3番手で救援登板・完了、2回無失点
- 初先発登板:1987年5月7日、対日本ハムファイターズ6回戦(後楽園球場)、1回2/3を失点で敗戦投手
背番号
- 34 (1987年 - 1989年、1992年)
- 28 (1990年)
- 99 (1991年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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