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1986年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)
1986年に日本で行われたプロ野球ドラフト会議 ウィキペディアから
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1986年度新人選手選択会議(1986ねんどしんじんせんしゅせんたくかいぎ)は1986年11月20日にホテルグランドパレスで行われた[1]第22回のプロ野球ドラフト会議である。
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概要
- 67選手の交渉権が確定した。
- 抽選に外れた球団は奇数指名順位はウエーバー方式、偶数指名順位は折り返しウエーバー方式で希望選手を指名。
- ウエーバー順位はヤクルト - 南海 - 中日 - 日本ハム - 大洋 - ロッテ - 阪神 - 阪急 - 巨人 - 近鉄 - 広島 - 西武。
- この年はオリンピックの野球日本代表選考に伴い多くの有力選手が指名凍結となり、この影響などから不作どころか凶作と表現された程の稀に見る人材難という前評判であった(その時の凍結選手の多くが1989年のドラフトへ流れ、結果的に1989年は後に空前の豊作と評されることとなった)。「1位指名で良い選手が取れるかどうかで全てが決まる」と各球団のスカウト担当者が公言していたほどであった[2]が、この年入団した選手のうち、阿波野秀幸と西崎幸広は1987年のパ・リーグで球史に残る新人王争いを繰り広げ、翌1988年には森山良二もパ・リーグの新人王獲得。さらに山崎武司や中嶋聡、木田優夫、緒方孝市、飯田哲也、八木裕、藤井康雄、友利結(デニー友利)など息の長い選手生活を送る選手を多数輩出している。
- 12球団全てがドラフト1位に投手を指名。これはドラフト史上初。
- 近鉄と巨人と大洋による3球団競合でドラフト1位指名を受けた阿波野秀幸は近鉄に入団し、その後に巨人、横浜(旧大洋)と移籍した。ドラフト1位指名で競合となった3球団すべてに所属したのは、ドラフト制度史上初めて。
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選択希望選手一覧
- 太字は、交渉権確定。色付きは指名重複。
- 背景色が暗い選手は入団拒否。
- 矢印の向きはウェーバー・逆ウェーバー制の指名順。
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指名リスト
パシフィック・リーグ
西武ライオンズ
近鉄バファローズ
阪急ブレーブス
ロッテオリオンズ
日本ハムファイターズ
南海ホークス
セントラル・リーグ
広島東洋カープ
読売ジャイアンツ
阪神タイガース
横浜大洋ホエールズ
中日ドラゴンズ
ヤクルトスワローズ
脚注
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