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小林茂太
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小林 茂太(こばやし しげた、1916年3月29日 - 没年不明)は、長野県佐久市[1]出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。
来歴・人物
岩村田中学校ではエースピッチャーとして活躍[1]。東京鉄道局で外野手に転向した[1]。1937年に名古屋金鯱軍へ入団[1]。同姓の小林利蔵と共にクリーンアップを担い、チームを牽引している。また、1937年春季リーグと1938年秋季リーグには規定打席に到達しながら、死球の数が四球の数を上回るという珍記録を残した(2007年に大村直之が記録するまで史上唯一の達成者だった)。1940年には翼軍へ移籍[1]。そこでもチームの主軸を担い、キャリアハイである4本塁打49打点を記録するも同年で退団した[1]。
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別投手成績
背番号
- 9 (1937年 - 1940年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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