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小野淳平
プロ野球選手 ウィキペディアから
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小野 淳平(おの じゅんぺい、1987年4月5日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
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経歴
プロ入り前
大分商業高等学校時代までは無名だったが、日本文理大学では体を作り、実戦を経験する中で潜在能力が引き出され、4年の大学選手権ベスト8進出するなど[1]古川秀一と共に150km/hを記録する二本柱に成長した。
2009年度新人選手選択会議で読売ジャイアンツに5位で指名された。指名後、山下哲治スカウト部長は「直球の力は既に一軍で通用するレベル。決め球の変化球を覚えることが活躍につながる」と評価。本人も「最速155キロは超えたい。落ちる変化球を覚えて早く一軍で投げたい」と意欲を示した。
巨人時代
2010年(1年目)は故障に苦しみ一軍登板はなかった[2]。オフには豪州リーグに参加した。なお、この入団年の二軍監督は高校先輩の岡崎郁であった。
2011年から背番号が60に変更になった。同年5月10日の横浜ベイスターズ戦で一軍デビューすると、7月17日の東京ヤクルトスワローズ戦で初先発。5回2失点で初勝利を手にした[3]。シーズン終了後にはプエルトリコで行われるウィンターリーグに派遣され[4]、クライマックスシリーズのメンバーからは外れた。
2012年は背番号を43に再変更。一軍では9試合の登板で0勝に終わり、二軍でも防御率4点台後半と精彩を欠いた。
広島時代
2013年4月28日、青木高広との交換トレードが成立し、広島東洋カープへ移籍することが決まった[5]。6月6日の千葉ロッテマリーンズ戦(尾道)で先発バリントンのアクシデントにより6回から登板し、2回を無失点に抑え、移籍後初勝利を挙げた。
2014年は防御率3.86と安定感を欠いたが22試合に登板した。
引退後
2018年より古巣である巨人の打撃投手となった[8]。2024年からは広報部所属となった。
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選手としての特徴
詳細情報
年度別投手成績
記録
- 投手記録
- 初登板:2011年5月10日、対横浜ベイスターズ4回戦(上毛新聞敷島球場)、7回表に3番手で救援登板・完了、3回1失点
- 初奪三振:同上、7回表に内藤雄太から空振り三振
- 初先発登板・初勝利・初先発勝利:2011年7月17日、対東京ヤクルトスワローズ14回戦(東京ドーム)、5回2失点
- 初ホールド:2013年7月2日、対中日ドラゴンズ10回戦(豊橋市民球場)、10回裏に6番手で救援登板、1回無失点
- 打撃記録
背番号
- 32(2010年)
- 60(2011年)
- 43(2012年 - 2013年途中)
- 47(2013年途中 - 2017年)
- 201(2018年 - 2023年)
脚注
関連項目
外部リンク
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