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山根佐由里
日本の女子ソフトボール選手 ウィキペディアから
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山根 佐由里(やまね さゆり、1990年1月24日 - )は、三重県度会郡度会町出身の女子ソフトボール選手(投手)。元ソフトボール日本代表。日本リーグ42連勝の記録保持者。
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経歴
度会町立中川小学校4年生の時に地域のスポーツ少年団(現在の度会エンペラーズ)に入団。6年生の時に第15回全日本小学生大会に出場したが、1回戦で京都のホワイトビッキーズ[注 2]に敗れた[1]。
2002年、度会町立度会中学校に進学。2年生の時にピッチャーを始めた[2]。同年、全国中学校大会に出場したが登板機会は無かった。
2005年、三重県立宇治山田商業高等学校に進学。高校3年生に進級する直前の3月、練習中に右膝の前十字靭帯を断裂した。手術が必要な大怪我であったが、5月にインターハイが、6月には世界ジュニア選手権が控えていたため、手術を後回しにして試合に出場し続けた。世界ジュニア選手権では銀メダルを獲得した[1]。大会終了後の8月に手術を受けた[3]。
高校卒業後の2008年にレオパレス21[注 1]に入団。1年目から新人賞を受賞する活躍を見せる。しかし2シーズン目の終了後にチームが廃部となったため、2010年からトヨタ自動車に所属することになる[3]。その後、2011年から2016年にかけて日本リーグ42連勝を記録[4]。2014年には最優秀投手賞・ベストナイン賞を受賞した。
2009年には日本代表に初選出。世界選手権に3回(2010年・2014年・2016年)出場しており、オランダで開催された2014年大会では金メダルを獲得した[4]。
2017年に現役引退。日本リーグ10年間の通算記録は、126試合登板・61勝9敗・防御率1.36[5]。
引退後は、全国各地でソフトボール教室を催したり、大学の外部コーチを務めるなどの普及活動に携わっている。2021年の東京オリンピックでは、ソフトボール競技の全試合で解説を担当した[6]。愛知県名古屋市の野球アカデミー「Be an Elite」のバッティング&ピッチングアドバイザーも務めている[7]。
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選手としての特徴
コントロールと緩急が武器のピッチャーであった[6]。体感速度150km/h超えのストレートにドロップ・スライダー・チェンジアップなど多彩な変化球を織り交ぜ、投球スタイルが田中将大に似ていることから『女マー君』の異名をとった[3][8]。
人物・エピソード
三重県度会町は、スポーツ好きの女子はソフトボールをするという風潮があるくらいソフトボールが盛んな地域である。3歳上の姉の影響もあり、加えて父親は地元のスポーツ少年団で監督を務めていたという環境であったため、必然的に山根も父親が監督を務めるスポーツ少年団に加わりソフトボールを始めた[2]。
運動全般が苦手で[6]、守備が苦手なため中学2年生の時にピッチャーを始めた。チームが全国中学校大会に出場した際も三塁コーチをしており、中学3年生の時にようやく試合に出られるようになった[2]。
2014年12月21日、スポーツ振興に貢献した功績をたたえ、地元の三重県度会町から功労表彰を受賞した[9]。
2015年の日本リーグ第4節のSGホールディングス戦では、あと1人バッターを抑えれば完全試合という場面でホームランを打たれ、大記録達成が潰えた。試合は4-1で勝利した[3]。
現役時代はルーティンを大切にしていた。試合前最後に必ずB'zの『イチブトゼンブ』を聴き[2]、愛用の小さなライオンのぬいぐるみを「ぽんっ」と触ってから試合に臨み、グラウンドには左足から入るなど、試合開始までの流れが事細かに定められていた[3]。
詳細情報
要約
視点
年度別投手成績
- 太字は個人表彰
日本リーグ個人表彰
- 2008年 - 新人賞(投手)
- 2014年 - 最優秀投手賞(防御率0.96)、ベストナイン賞(投手)
記録
- 日本リーグ通算42連勝
代表歴
- 2007年 - 第8回世界ジュニア選手権
- 2009年 - 第4回USAワールドカップ
- 2009年 - 第4回アジアジュニア選手権
- 2010年 - Australia v Japan Test Series
- 2010年 - 第12回世界選手権
- 2010年 - 第5回USAワールドカップ
- 2010年 - 第7回ジャパンカップ
- 2010年 - 第16回アジア競技大会
- 2011年 - カナディアンオープン
- 2013年 - 第2回東アジアカップ
- 2014年 - 第9回USAワールドカップ
- 2014年 - カナディアンオープン
- 2014年 - 大垣国際カップ
- 2014年 - 第14回世界選手権
- 2014年 - 第17回アジア競技大会
- 2015年 - 第8回ジャパンカップ
- 2016年 - Down Under Series(オーバーエイジ)
- 2016年 - 日米対抗
- 2016年 - 第11回USAワールドカップ
- 2016年 - 第15回世界選手権
- 2016年 - 第9回ジャパンカップ
背番号
- 20(2008 - 2009)
- 21(2010 - 2017)
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脚注
外部リンク
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