トップQs
タイムライン
チャット
視点
山崎亮平
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
Remove ads
山崎 亮平(やまざき りょうへい、1989年3月14日 - )は、新潟県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。
Remove ads
来歴
プロ入り前
新潟県南魚沼郡大和町(現在南魚沼市)出身[1]。千葉県で育ち、9歳からサッカーをはじめた[2]。中学時に在籍していたFC千葉なのはなジュニアユースでは、同学年の米倉恒貴らと高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-15)大会で全国ベスト4になった。千葉県立八千代高等学校に米倉とともに進学し、3年生の時、2006年の第85回全国高等学校サッカー選手権大会で全国ベスト4に進出した。
ジュビロ磐田
高校卒業後の2007年、ジュビロ磐田に入団。すぐにU-18日本代表に立ち上げから招集され、AFC U-19選手権2008 (予選)では5試合5得点と活躍した。翌2008年は、カタール国際ユーストーナメントでも得点王とMVPとなる活躍でU-19代表を優勝に導いた。北京五輪日本代表では、直前の合宿には呼ばれたものの落選した。その後左足を骨折し、AFC U-19選手権2008には選出されなかった。2009年は、再度の骨折により、リハビリを行なった。
2010年、復帰後は主に途中出場ながら徐々に出場機会を得、ナビスコカップ準決勝川崎フロンターレ戦ではチームを決勝へと導くアウェイでの逆転ゴール、決勝サンフレッチェ広島戦では結果的に決勝点となる4点目を挙げ(スコアは2-2から延長戦の末5-3)、優勝に大きく貢献した。またU-21日本代表にも選ばれ、ナビスコカップ直後の第16回広州アジア競技大会では第1戦での先制点など通算2得点を挙げ、代表の優勝にも大きく貢献した。
2012年は、背番号が25から9となり、磐田では2009年まで在籍した中山雅史以来の9番をつける選手で、2人目となった。2月5日に行われたロンドン五輪アジア最終予選第4戦のシリアとの試合にスタメン出場をしたが、相手選手との競り合いでの着地の際に、バランスを崩し、左橈骨(とうこつ)を骨折し、負傷退場となった。その後、全治2ヶ月との診断結果が出た[3]。
アルビレックス新潟
柏レイソル
V・ファーレン長崎
テゲバジャーロ宮崎
2023年1月9日、テゲバジャーロ宮崎への完全移籍が発表された。山崎にとってキャリア初のJ3挑戦となる。
同年12月5日、契約期間満了及び来季の契約更新を行わない事が発表された[7]。
栃木シティFC
Remove ads
人物
愛称は『ギュンギュン』。高校選手権出場時に磐田の先輩である中山雅史(山崎が出場した高校選手権のイメージキャラクターを務めていた)から命名された[11]。
所属クラブ
個人成績
その他の公式戦
- 2014年
- J1昇格プレーオフ 1試合1得点
- 記録等
Remove ads
代表歴
- 2007年
- U-18日本代表
- U-19日本代表 - AFC U-19選手権2008 (予選)
- 2008年
- U-19日本代表 - カタール国際ユーストーナメント
- U-23日本代表
- 2010年
- U-21日本代表 - 第16回広州アジア競技大会
- 2011年
- U-22日本代表 - ロンドンオリンピックアジア2次予選
- 2012年
- U-23日本代表 - ロンドン五輪アジア最終予選
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads