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川上村 (岐阜県池田郡)
日本の岐阜県揖斐郡にあった村 ウィキペディアから
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川上村(かわかみむら)は、かつて岐阜県池田郡にあった村である。現在の揖斐郡揖斐川町坂内川上に該当する。揖斐川支流の坂内川の最上流に位置する。
概要
村名は、この地が揖斐川の上流だったことによる。枝郷に八草があったが、1694年(元禄6年)に分村した[3]。人家は2つに分かれ、本村の集落は大きく、八草は小集落で本村の西南1里余に位置した[1]。
1872年(明治5年)に八草村を合併し、1875年(明治8年)6月に門入村[4]を編入したが、1884年(明治17年)7月5日に門入村を分離した[3]。
1645年(正保2年)の『正保郷帳』では石高は51石8斗2升2合。『元禄高帳』では外に枝郷八草村の石高として19石9斗5升7合を記載した[1]。『旧高旧領取調帳』も1868年(明治元年)時点の石高は51石8斗2升2合とする[5]。『明治六年調高』では77石8斗7升1合、段別田2町7段5畝27歩(約2.7ha)・畑6町8段26歩(約6.7ha)・屋敷9反6畝13歩(約9.5a)、外に試起田12町1段4畝1歩(約12ha)・畑1町1段1畝20歩(約1.1ha)があった[1]。
1897年(明治30年)4月1日の揖斐郡設置時に、広瀬村、坂本村と廃置分合(合併)して揖斐郡坂内村の一部となり[6]、同村の大字となる。
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歴史
- 江戸時代 - 大垣藩領で石高は51石8斗2升2合[7]。
- 1871年8月29日(明治4年7月14日) - 廃藩置県により、大垣県に所属する。
- 1872年1月2日(明治4年11月22日) - 第1次府県統合に伴い、岐阜県に所属する。
- 1872年(明治5年)
- 1873年(明治6年)4月 - 岐阜県内管内区画を改正して12大区175小区に分割。旧75区は第6大区6小区に属する[10]。
- 1875年(明治8年)6月 - 門入村を編入する。
- 1879年(明治12年)2月18日 - 郡区町村編制法(明治11年7月22日太政官布告第17号)施行に伴い大区小区制を廃止し、当村は大野池田郡役所(郡役所・大野郡三輪村)の管掌下となる[11]。
- 1884年(明治17年)7月5日 - 川上村が門入村と川上村に分裂する[12]。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制(明治44年4月7日法律第69号)施行により、自治体としての川上村が発足[13]。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 池田郡広瀬村、坂本村及び川上村が合併して坂内村が発足。同日、川上村廃止[6]。同日、池田郡が大野郡の一部と合併して揖斐郡となる[14][15]。
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教育
脚注
参考文献
関連項目
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