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川西清

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川西 清(かわにし きよし、1918年大正7年)8月25日[1] - 没年不明)は、昭和期の弁護士政治家衆議院議員

経歴

兵庫県[2]神戸市で生まれる[3]。1941年(昭和16年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業[3][2]。弁護士となる[3][2]。また東京朝日新聞政治部記者も務めた[3][2]

1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙に兵庫県第1区から日本自由党公認で出馬して初当選[4]。1947年(昭和22年)4月、第23回総選挙兵庫県第3区から出馬して次点で落選[5]。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙民主自由党から出馬して再選され[6]、その後自由党に所属して衆議院議員に通算2期在任した[2]。この間、商工大臣秘書官、日本自由党幹事などを務めた[3][2]。その後、第25回第26回総選挙、1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙兵庫県選挙区自由民主党公認)、1967年(昭和42年)1月の第31回総選挙(無所属)に立候補したがいずれも落選した[7]

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脚注

参考文献

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