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布部陽功
日本のサッカー選手、監督 ウィキペディアから
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布部 陽功(ぬのべ たかのり、1973年9月23日 - )は、大阪府高槻市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
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来歴
1989年北陽高校サッカー部に入部。1年生から3年生までレギュラーとして全国大会に5回出場した。卒業後、1992年近畿大学サッカー部に入部。翌年の1993年大学2年時にプロになることを決意し、単身ブラジルに留学を決める。
1994年ブラジルのアマチュアチームに所属し、大会で優勝。来日し日本のチームと対戦した際に、ヴェルディのコーチに声をかけられ練習生としてチームに参加。当時ヴェルディ川崎の監督であったネルシーニョに発掘される。1995年全盛期のヴェルディ川崎に逆輸入選手として入団。シンデレラボーイと報道された。同年ゼロックススーパーカップでデビューし、同点ゴールを奪いプロ初ゴールを決める。
1997年シーズン途中でジュビロ磐田にレンタル移籍。主にFW、右SBで出場した。
1998年にヴィッセル神戸に完全移籍。FW、MF、DFとオールラウンドプレーヤーとして出場。
2001年セレッソ大阪に完全移籍。主にボランチとして出場する。キャプテンであった森島寛晃と共に、選手の代表として選手会長を務める。
2006年アビスパ福岡に完全移籍。翌年の2007年からキャプテンとして2年間チームを牽引した。2009年指導者の道を選びアンバサダー兼コーチとして、アビスパ福岡に残りS級ライセンスを取得。同年8月、レイソルカップでアビスパ福岡U-14を引率した際、当時柏レイソルの監督であったネルシーニョと再会。
翌年の2010年1月からネルシーニョのコーチとして柏レイソルに移る。2010年J2リーグ優勝、1年でJ1リーグに復帰。2011年Jリーグ初となるJ1昇格1年目でのJ1初優勝。2012年天皇杯優勝。2013年ナビスコカップ優勝。5年間ネルシーニョのコーチとしてチームに貢献した。
2015年新監督の吉田達磨のヘッドコーチとしてチームに残る。2016年1月柏レイソルU-18監督に就任するがトップチームの成績低迷により、3月からトップチームに復帰、当時指揮していた下平隆宏の下でヘッドコーチを務める。
2017年大学時代の同級生であり京都サンガのスカウトであった小島卓に誘われ、京都サンガの監督に就任[1]。1年目は12位に終わり、2年目もなかなか成績が伸びず、この年の5月に退任した[2]。
2018年6月から柏レイソルU-18コーチを務め、同年11月よりゼネラルマネジャーに就任した[3]。しかしこの年はチームは低迷し、J2に降格してしまう。
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所属クラブ
ユース経歴
プロ経歴
個人成績
その他の公式戦
- 1995年
- 1997年
- Jリーグチャンピオンシップ 1試合0得点
- 1998年
- J1参入決定戦 2試合0得点
- 2006年
- J1・J2入れ替え戦 2試合1得点
出場歴
主な戦績
<選手>
- 1995年
- ニコスシリーズ優勝(セカンドシリーズ) ヴェルディ川崎
- 1996年
- 天皇杯優勝 ヴェルディ川崎
- 1997年
- J1優勝 ジュビロ磐田
- 1998年
- J1残留入替え戦にてJ1残留 ヴィッセル神戸
- 2001年
- 天皇杯準優勝 セレッソ大阪
- 2003年
- 天皇杯準優勝 セレッソ大阪
- 2005年
- 長居の悲劇:最終節までもつれた優勝の行方。セレッソ大阪はFC東京と激戦の末の引き分けてガンバ大阪が大逆転の優勝を決めた。布部本人が『生涯忘れられない試合』と今も語る。
<コーチ>
- 2010年
- J2優勝(J1昇格) 柏レイソル
- 2011年
- J1優勝 柏レイソル
- 2012年
- 天皇杯優勝 柏レイソル
- 2013年
- ナビスコカップ優勝 柏レイソル
指導歴
監督成績
- 2018年は休養するまでの第12節終了時点の成績。
出典
関連項目
外部リンク
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