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常見昇

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常見 昇(つねみ のぼる、1928年3月30日 - 2005年11月16日[1])は、群馬県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手1954年の登録名は常見泰生

概要 基本情報, 国籍 ...
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来歴・人物

桐生中学から明治大学へ進学。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、19年春季リーグで首位打者を獲得。リーグ通算61試合出場、215打数56安打、打率.260、1本塁打、33打点。

大学を中退し、翌1949年東急フライヤーズに入団。開幕から左翼手として起用され、規定打席(48位、打率.248)にも達する。翌1950年は開幕から四番打者に座る。大下弘保井浩一らとクリーンアップを組み、17本塁打を放った。1952年は自己最高の打率.293(13位)を残す。1956年阪急ブレーブスへ移籍し、同年限りで引退

2005年11月16日に肝不全のため死去。享年77[1]。兄の常見茂、弟の常見忠も桐生中を卒業、東急フライヤーズに入団している。引退後は泰生海事株式会社を経営。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 東急(東急フライヤーズ)は、1954年に東映(東映フライヤーズ)に球団名を変更

背番号

  • 7 (1949年 - 1954年)
  • 3 (1955年)
  • 29 (1956年)

登録名

  • 常見 昇 (つねみ のぼる、1949年 - 1953年、1995年 - 1956年)
  • 常見 泰生 (つねみ やすお、1954年)
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脚注

関連項目

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