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恵川康太郎
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恵川 康太郎(えがわ やすたろう、1936年4月22日 - )は、広島県三原市[1]出身の元プロ野球選手。
経歴
三原高校ではエースで四番打者、1954年に夏の甲子園へ出場[1]。準々決勝まで勝ち進むが、この大会で優勝した中京商の中山俊丈に抑えられ大敗[2]。
1955年に地元の広島カープへ入団[1]。1956年に一軍に定着、主として遊撃手として起用され、米山光男の控えではあるが30試合に先発出場。翌1957年は三塁手に回り、原田信吉とレギュラーを争う。しかし1958年には小坂佳隆、古葉毅が入団して内野の再編成が進み、出場機会が減少。同年限りで現役引退し、地元三原市へ帰郷した[1]。
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 46 (1955年 - 1958年)
脚注
関連項目
外部リンク
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