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放駒四郎兵衛

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放駒四郎兵衛
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放駒 四郎兵衛(はなれごま しろべえ、生没年不詳)は、江戸時代前期に実在したとされる日本の侠客である[1]夢市郎兵衛(夢の市郎兵衛)の実兄であり、幡随院長兵衛の子分として知られる[1][2]

概要 はなれごま しろべえ 放駒 四郎兵衛, 生誕 ...

放れ駒 四郎兵衛(読み同)、放駒の四郎兵衛(はなれごま の しろべえ)とも表記される。

人物・来歴

生年月日・生地ともに不詳である[1]。一般に長兵衛よりは年長と考えられ、江戸浅草花川戸(現在の東京都台東区花川戸)出身と考えられている[3]。当初は力士であったが、引退して植木屋をやっていたところ、実弟・夢の市郎兵衛の侠客としての売り出すとともに、自らも侠客の道に進んだ、という[3]。弟とともに幡随院長兵衛の子分となり[4]、長兵衛四天王八天下の1人に数えられる[3]

1657年8月27日明暦3年7月18日)、水野十郎左衛門(水野成之)に長兵衛が殺され、この仇討ちをしようとするが、捕らえられて処刑されたという[1]。正確な没年月日は不明である[1]。水野はその後、1664年4月23日寛文4年3月27日)に切腹処分になった[5]

角界との繋がり

『関東侠客伝』では夢市郎兵衛の義兄弟として初代横綱として知られる明石志賀之助が登場し、明石が勧進元となって江戸勧進相撲が始められたとされる。また、本人も元は力士であるため、角界とは繋がりがある。このことから、年寄名跡放駒』の由来となったとする説がある[6]

伝説・物語

初代桜田治助(1734年 – 1806年)が1769年(明和6年)に書いた『江戸花陽向曽我』に、「放駒四郎兵衛 実ハ鬼王新左衛門」として登場する[7]市村座三代目大谷廣次(1746年 – 1802年)がこれを演じ、同年、一筆斎文調が描いた[7]歌川国明は、1861年(文久元年)10月、四代目中村芝翫を『放駒四郎兵衛 中村芝翫』として描き、一寿斎国政(四代目 歌川国政、1848年 - 1920年)は、大島運四郎幡随院長兵衛、まむしの治兵衛(真虫次兵衛)、白柄重右衛門とともに5人を1枚に描いた[7]。三代目歌川豊国(歌川国貞、1786年 - 1865年)も、長兵衛とその子息・長松とともに3人を1枚に描いた[7]

1916年(大正5年)2月、岡本綺堂が書いた『番町皿屋敷』が初演され、六代目市川寿美蔵(三代目市川壽海)が四郎兵衛を演じた[8]。この初演でのほかの配役は、青山播磨を二代目市川左團次、腰元お菊を二代目市川松蔦、柴田十太夫を市川左升、権次を二代目市川荒次郎が演じた[8]。同作に登場する四郎兵衛のキャラクターは、お菊の相手役・青山播磨を白柄組旗本奴と設定したために、対立する町奴として登場するのである。

テアトログラフィ

歌舞伎で「放駒四郎兵衛」を演じたおもな俳優の一覧である[7]。生誕順。

  • 三代目 大谷廣次 (1746年 – 1802年) - 『江戸花陽向曽我』初演
  • 四代目 中村芝翫 (1831年 - 1899年)
  • 三代目 市川壽海 (1886年 - 1971年)- 『番町皿屋敷』初演
  • 初代 市川猿翁 (1888年 - 1963年) - 『番町皿屋敷
  • 四代目 坂東秀調 (1901年 – 1985年) - 『男達ばやり
  • 三代目 河原崎権十郎 (1918年 - 1998年) - 『番町皿屋敷』麹町山王下の場
  • 六代目 中村東蔵 (1938年 - ) - 『番町皿屋敷』番町青山家の場
  • 六代目 尾上松助 (1946年 - 2005年) - 『男達ばやり』元の不忍池畔の場
  • 二代目 尾上緑也 - 『番町皿屋敷』麹町山王下の場
  • 九代目 市川團蔵 (1951年 - ) - 『番町皿屋敷』番町青山家の場
  • 三代目 中村吉之助 (1967年 - ) - 『番町皿屋敷』番町青山家の場
  • 初代 坂東功一 (1968年 - ) - 『番町皿屋敷』番町青山家の場
  • 六代目 市川新蔵 (1956年 - ) - 『番町皿屋敷』番町青山家の場
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フィルモグラフィ

日本映画データベースキネマ旬報映画データベース等にみられる「放れ駒四郎兵衛」(放駒四郎兵衛)の登場する劇映画一覧である。末尾の俳優が四郎兵衛を演じた。

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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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