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齋藤仁志

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齋藤 仁志(さいとう ひとし、1986年10月9日 - )は、日本の男子陸上競技選手。専門は短距離走栃木県栃木市(旧下都賀郡都賀町)出身。栃木県立鹿沼高等学校筑波大学卒。佐野 SAC JUVY TRACK CLUB所属。東野高校短距離コーチ。

概要 齋藤仁志, 選手情報 ...
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主な経歴

陸上を始めたのは中学に入ってから。地元は野球が盛んだったが、バットを振ってもかすらないくらい球技が苦手だったため、野球やサッカーではなく陸上部に入部。練習が少ないだろうという理由で消去法で短距離を選択[1]

高校2年時に2003年インターハイ200mに出場し、22秒84(+0.6)の予選3組7着に終わる。

将来は教師になって陸上部の顧問になれればと思い、教育学部のある大学を受験するも失敗し、1年間の浪人生活を送る。浪人中に出場した2005年日本ジュニア選手権200mを制する[1]

筑波大学時代に2007年から2009年までインカレの200mを三連覇しており[2]2008年北京オリンピックに4×100mと4×400mリレーの補欠メンバーに選ばれている。

2009年の世界選手権に初めて出場するも、直前のユニバーシアードで足を負傷した影響もあり、200mは1次予選敗退。4×100mリレーは北京オリンピックに続き出番なしに終わった[3]

2011年の日本選手権200m決勝では、2008年と2009年に続き髙平慎士に次ぐ2位に入った。7月のアジア選手権の日本代表に選出されると、200mは大会記録で優勝したカタールフェミ・オグノデに次ぐ2位、4×100mリレーはアンカーを務め優勝した。この結果を受けて、8-9月開催の世界選手権の日本代表に選出された[4]

2012年以降は両アキレス腱の怪我の影響で苦しむ[5]

2013年3月にサンメッセを退社。

2015年4月に筑波大学大学院に進学[5]

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人物・エピソード

  • 高校3年の時に群馬大学のコーチから練習に誘われ、卒業後は群馬大学に進学しようとするも、推薦入試、前期試験、後期試験の全てに落ちて浪人生活を送ることになった[5]
  • 筑波大学への進学を決めたのは、石塚祐輔たちが推薦で合格したと聞き、一緒にリレーで日本一を目指したいと思ったから[6]。浪人中に日本ジュニア選手権を制して絶好のアピールになると思いきや、筑波大学に浪人生を対象にした推薦制度はなく、必死に勉強を頑張ったという。12月の模試ではE判定だったが見事合格した[5]
  • 夏には神奈川県内の県立高校の合宿(長野県菅平)にコーチとして参加し、若手の育成に寄与している。

自己ベスト

記録欄の( )内の数字は風速m/s)で、+は追い風を意味する。

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主要大会成績

国際大会

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日本選手権

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脚注

外部リンク

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