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日本製鋼所東京製作所

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株式会社日本製鋼所東京製作所(にほんせいこうしょとうきょうせいさくしょ、The Japan Steel Works, Ltd. Tokyo Plant)は、かつて東京都府中市日鋼町1丁目1に存在した日本製鋼所の製作所。日鋼町町名の由来である。跡地は再開発され「府中インテリジェントパーク」となっている(後述)。

概要

日本製鋼所東京製作所は、1938年昭和13年)東京府北多摩郡府中町武蔵製作所として起工され、1941年(昭和16年)から営業を開始した。

第二次世界大戦中、武蔵製作所は戦車製造専門工場として稼働したが、通達により1942年(昭和17年)に製造品目を戦車から火砲へ変更した。

終戦直後は他の工場と同様に、脱穀機といった民生用製品の製造へ転換したが、後にパワーショベルの製造が中心となり、長らく油圧式パワーショベルを主力とした製造が行われていた。

1961年からドイツO&K社と技術提携し、6tクラスから40tクラスまでの油圧ショベルを製造していた。提携終了後も東京製作所閉鎖まで自社設計で製造を続けており、最盛期にはアメリカPETTIBONE社へOEM供給を行っていた。油圧部分は横浜製作所にて、ホイールローダーは酒井重工業が製造していた。O&K社は油圧ショベル以外にも様々なモデルを製造していたが、日本製鋼所では油圧ショベルのみ製造しており、これらの販売は日鋼商事や三井物産系の建設機械取扱店で行われていた。

油圧式パワーショベルの製造を打ち切るのを期に、1987年(昭和62年)に閉鎖された。当製作所での製造終了後にも、石川島建機(現:KATO HICOM)からOEM供給を受け、JSWブランドのモデルは数年間存在した。

閉鎖後の跡地は「府中インテリジェントパーク」として再開発された。当製作所の解体作業時に発掘調査が行われ、日鋼町付近が武蔵国国府の北限部分にあることが判明した。

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沿革

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府中インテリジェントパーク

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府中インテリジェントパーク(2009年)
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府中インテリジェントパーク(2017年)

府中インテリジェントパーク(ふちゅうインテリジェントパーク、Fuchu Intelligent Park)は、日本製鋼所東京製作所跡地の再開発地区の名称。府中市により景観地区に指定されている。地区全域が日鋼町に属する。

日本製鋼所は自社で高層オフィスビル「府中Jタワー」を開発しているが、それ以外の土地は順次売却され、金融機関ユーザー系システムインテグレーターデータセンターや事務センター用途のオフィスビル、府中市の公共施設、商業施設などが、2000年代までに順次竣工された。

同様の首都圏におけるデータセンター用途のビル群は、千葉ニュータウン多摩ニュータウン多摩センター地区にも所在する。

ヒューリック府中タワー(旧:府中Jタワー)

日本製鋼所により建設された、1992年竣工の高層オフィスビル。府中インテリジェントパークの中核となるセンタービルとして位置づけられている。1995年平成7年)11月から2007年(平成19年)8月まで、日本製鋼所の本社機能の一部が置かれていた。現在[いつ?]も日本製鋼所グループ企業の事業所が入居している。

テナントとして損害保険ジャパン情報システム部が長らく入居していたが、2013年ファーレ立川へ移転した。その他、2021年時点でも大手保険会社・大手共済団体証券会社などの金融機関とその関連会社の入居が目立つ。クリニック調剤薬局レストラン郵便局なども入居する。

2004年不動産証券化し、信託受益権シンプレクス・インベストメント・アドバイザーズが約200億円で買収。2013年10月に系列のJ-REITSIA不動産投資法人が所有権を取得した。

テナント

その他の建築物

交通アクセス

脚注

関連項目

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