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日立ベルフィーユ
東京都小平市を本拠地に活動していた、日立製作所の女子バレーボールチーム ウィキペディアから
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日立ベルフィーユ(ひたちベルフィーユ)は、東京都小平市を本拠地に活動していた、日立製作所の女子バレーボールチームである。
歴史
1964年、日立製作所武蔵工場バレーボールチームとして東京都小平市にて創部。1975年に日立バレー部に改称し、本社チームに昇格。(1990年に日立ベルフィーユと改称)。都立三鷹高校を指揮した山田重雄を監督に迎え、日本リーグでは1980年代を中心に18回、黒鷲旗全日本選手権17回、全日本総合9回、国体2回、NHK杯3回、ひろしまピースカップ4回の優勝を果たした。獲得タイトル計53回は、ユニチカ・フェニックスに次ぐ歴代第2位であり、日本女子バレー界を代表する強豪チームと称えられた。
日本リーグ6連覇、リーグ戦88連勝[1]は後継のVリーグに至る歴史の中で、いまだ破られていない金字塔である。
全日本代表選手を多数輩出し、1968年メキシコ五輪で高山鈴江が銀メダル、1976年モントリオール五輪で金メダルの白井貴子、松田紀子、荒木田裕子、1984年ロサンゼルス五輪で銅メダルの江上(現・丸山)由美、森田貴美枝、三屋裕子、杉山加代子、中田久美、廣紀江といった選手がチームに所属していた。
1994年、Vリーグ発足時、主力9選手がプロチーム結成を前提とした、集団で退部届けを提出する[2]騒動が勃発。その後大林素子と吉原知子が騒動の責任を理由に退部となるが[3]、他の選手は日立に復帰し、Vリーグでプレーを続けた。しかし1996-1997年シーズンにV1リーグへ降格(1年でVリーグ復帰)するなど成績低迷に加え、日立製作所本社の経営改革により支援体制にも限界が出たことから、2000-2001年の第7回Vリーグシーズンを最後にチームを廃部することになった。
廃部に至った理由としては、日立本社がスポーツサポートの主力を、Jリーグの柏レイソルと、ソフトボールの日立高崎(現:ビックカメラ高崎ビークイーン)、男子バスケットボールの日立サンロッカーズ(現:サンロッカーズ渋谷)に集約する方針を打ち出していたことが挙げられる。翌年には同じく古豪として知られた同社の女子バスケットボールチーム「日立戸塚レパード」も休部となった。
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成績
主な成績
- 優勝 18回(1967年度、1968年度、1973年度、1974年度、1975年度、1976年度、1977年度、1981年度、1982年度、1983年度、1984年度、1985年度、1986年度、1988年度、1990年度、1991年度、1992年度、1993年度)
- 準優勝 5回(1970年度、1972年度、1978年度、1987年度、1998年度)
- 優勝 17回(1968年、1972年、1973年、1974年、1975年、1976年、1977年、1978年、1979年、1982年、1983年、1984年、1985年、1987年、1988年、1993年、1994年)
- 準優勝 4回(1965年、1966年、1986年、1989年)
- 国民体育大会成年女子(6人制)
- 優勝 3回(1968-69年、1976年)
- ひろしまピースカップ
- 優勝 4回(1989年、1992-1994年)
年度別成績
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廃部年度の選手・スタッフ
2000年度の在籍者は次の通り[4] 。
選手
スタッフ
在籍していた主な選手
→「日立ベルフィーユの歴代選手・スタッフ一覧」も参照
脚注
関連項目
外部リンク
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