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Astemoリヴァーレ茨城
茨城県ひたちなか市を本拠地とする、日立Astemoの女子バレーボールチーム ウィキペディアから
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Astemoリヴァーレ茨城(アステモリヴァーレいばらき)は、茨城県ひたちなか市を本拠地とする、Astemoの女子バレーボールチームである。2025-26シーズンはSVリーグに所属。
概要
1980年11月に日立製作所佐和工場(現・Astemo佐和工場、茨城県ひたちなか市)で発足[1]。2001年に廃部となった日立ベルフィーユとは別の系譜。
チーム名の『リヴァーレ』とは、イタリア語で「好敵手・ライバル」と言う意味で、Vリーグの強豪たちとライバルとして渡り合えるように願いを込められている[2]。チームマスコットはうさぎの「ウィン」である。強い闘志で負けず嫌いのお転婆さんでありチャーミングな頑張り屋さんである守護神とされている[1]。
練習場はホームタウンのひたちなか市にあるリヴァーレアリーナであり[3]、ホームゲームは同市のひたちなか市総合運動公園総合体育館や茨城県内のアダストリアみとアリーナなどで開催されている。
歴史
要約
視点
1980年11月に、日立製作所国分工場から佐和工場に移管されて日立佐和女子バレーボール部が誕生した[1]。
1981年、第1回東部地域リーグからスタートするも、6チーム参加の最下位(5戦全敗)となる。1983年第3回で東部地域リーグに復帰。1985年に第5回地域リーグで全勝優勝を果たし、実業団リーグ(当時のバレーボール2部リーグ)昇格を果たす[1]。1985/86シーズンの第17回実業団リーグでは最下位となり1年で降格。しかし、1年で復帰した。その後も好成績を収められず、1995/96シーズンの第27回大会では7位で入替戦に敗れ再降格となった。それでも、翌シーズンの第17回地域リーグで全勝優勝を果たしまたも1年で復帰。そして、その翌年の1997/98シーズンの第29回実業団リーグで全勝優勝を飾り、Vリーグ(現・Vプレミアリーグ)昇格を果たした。
しかし、1998/99シーズンの第5回Vリーグでは8位。第6回大会では最下位となり、入替戦で東北パイオニア(現・パイオニアレッドウィングス)に連敗し、2シーズンでのV1リーグ(実業団リーグより名称変更)降格となった。2000/01シーズンの第3回V1リーグでは優勝するも、入替戦で敗れて復帰できず。
2001年4月に菅原貞敬が監督に就任。2001/02シーズンの第4回V1リーグで優勝し、入替戦でJTマーヴェラスを破り3年ぶりのVリーグ復帰を果たした。
2002/03シーズンの第9回Vリーグでは最下位の8位となるが、次期よりチーム数が増えるためそのままプレミア残留となった。そのシーズン終了後にベテラン勢が退団したため、若手中心のチームに様変わりした[4]。第10回Vリーグでは、自己最高の6位に入った。2005/06シーズンは、ベテラン監督の吉田國昭が監督に就任。板橋恵、佐田樹理、井野亜季子らと戦力も充実してきて、拾ってつなぐ粘りの全員バレーを展開した[4]。第12回Vリーグでは8位にとどまるもの、第55回黒鷲旗全日本選抜大会では準優勝を果たした。
2006年5月に茂原アルカスが廃部になった為、日立グループのバレーボールチームは、当チームが男女合わせて唯一のチームとなった[注釈 1]。
2008/09V・プレミアリーグ(Vリーグより名称変更)で全敗を喫して最下位となり、2009年4月のV・チャレンジマッチ(入替戦)で敗れ、8シーズンぶりにチャレンジリーグに降格となった。その後、江畑幸子が全日本メンバーに選出される。以降、江畑は国際試合で活躍するが、チームにもそのまま残り、次のシーズンをV・チャレンジリーグで通すこととなる。
2009年、同年の黒鷲旗大会まで久光製薬スプリングス(現・久光スプリングスの監督だった濱田義弘がヘッドコーチ(後に監督)に就任する。2009/10V・チャレンジリーグでは優勝を果たすも、V・チャレンジマッチでパイオニアに最後に逆転され、セット率でプレミア復帰ならず。
2010年4月、チーム呼称をこれまでの「日立佐和リヴァーレ」から「日立リヴァーレ」に変更、正式名称は「日立オートモティブシステムズ女子バレーボール部」となった[1][注釈 2]。
2010/11V・チャレンジリーグは2位で終わるも、東日本大震災の影響でV・チャレンジマッチが中止となり、このままV・チャレンジリーグ残留ということになる。2011/12V・チャレンジリーグでは優勝するも、V・チャレンジマッチでNECレッドロケッツに連敗してまたもプレミア復帰ならず。2009/10シーズン以降の3シーズン、上尾メディックス(現・埼玉上尾メディックス)と共にV・チャレンジリーグ上位2位を占めているが、2012/13V・チャレンジリーグでもそのような展開になり、上尾にセット率で競り負け準優勝。V・チャレンジマッチでV・プレミアリーグ7位のデンソー・エアリービーズと対戦することとなり、第1戦はセットカウント1-3で敗れ、追い込まれる。しかし、第2戦はセットカウント3-1で勝利。セット率で追いつき、得点率で上回ったため、5シーズンぶりのプレミアリーグ昇格が決定した[5][6]。その後の第62回黒鷲旗では、グループ戦でデンソーとの再戦に勝利し、メジャータイトル2冠の久光製薬をフルセットにまで追い込むなど、躍進ぶりを見せた。
プレミア復帰後のファーストシーズンとなった2013/14シーズンでは、チーム史上最高の12勝をあげ6位となった[7]。
2014年、松田明彦が新監督に就任し[8]、栗原恵が岡山シーガルズより移籍[9]。2015/16シーズンにはレギュラーラウンド3位、ファイナル6を首位で通過しファイナルに歩を進めた。ファイナルでは久光製薬に涙を飲んだが、チーム史上最高位となる準優勝を遂げた[10]。2016/17シーズンでもファイナル3に進出したが、久光製薬に二連敗し二年連続のファイナル進出を逃した[11]。2017年、コーチだった甲斐祐之が監督に昇格した。
2018年、これまでのVリーグに変わり新生V.LEAGUEが誕生し、1部のDIVISION1に所属[12]。
2018-19シーズン、シーズン途中で監督の甲斐が体調不良で休養となり、当シーズン終了をもって退団[13]。新監督に多治見麻子が就任した[14]。
2021年1月、日立オートモティブシステムズの4社統合により同社の社名が「日立Astemo」に変更となり、チームもそのまま継承された。日立Astemoのシンボルスポーツとして活動するため、同年8月に、チーム名称も「日立リヴァーレ」から「日立Astemoリヴァーレ」に変更となった[15][16]。
2022年8月1日、チームカラーとチームロゴを刷新する運びになったと発表した。チームカラーは、これまでのリヴァーレブルーに加え、メインカラーを日立AstemoのコーポレートカラーであるAstemoレッドとした[17]。
2023年、2022/23シーズンをもって、4シーズン監督を務めた多治見麻子が監督を退任[18][19]。後任として新たに、中谷宏大が監督に就任した[20]。
2024年、SVリーグ発足に伴いチーム名を「Astemoリヴァーレ茨城」に変更[21]。
2025年、中谷宏大が監督を退任[22]。新監督には元東九州龍谷高等学校監督・日本女子代表コーチの相原昇が就任[23]。
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沿革
- 1980年11月 日立佐和女子バレーボール部創部
- 1981年1月 日立佐和女子バレーボール部後援会発足
- 1985年3月 実業団リーグ(現チャレンジリーグ 旧V1リーグ)初昇格
- 1998年3月 Vリーグ(プレミアリーグ)昇格
- 2002年3月 Vリーグ(プレミアリーグ)再昇格
- 2006年5月 黒鷲旗全日本バレーボール選手権大会 準優勝
- 2010年4月 日立リヴァーレに改称
- 2013年4月 Vチャレンジマッチに勝利し、プレミアリーグに昇格
- 2016年3月 Vプレミアリーグで準優勝を果たす。
- 2021年8月 日立Astemoリヴァーレに改称
- 2024年7月 Astemoリヴァーレ茨城に改称
成績
主な成績
- Vプレミア、V.LEAGUE DIVISION1 WOMEN(日本リーグ/Vリーグ)
- 優勝 なし
- 準優勝 1回(2015-16シーズン)
- 国民体育大会成年女子(6人制)
- 準優勝 (1998年)
年度別成績
日本リーグ / 実業団リーグ
Vリーグ / 実業団リーグ・V1リーグ
V・プレミアリーグ / V・チャレンジリーグ
V.LEAGUE
SV.LEAGUE
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選手・スタッフ(2025-26)
選手
スタッフ
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在籍していた主な選手
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アンダーカテゴリー
リヴァーレアカデミーとしてU15女子チームとスクールを保有している[28][29]。
スタッフ
関連項目
注釈
- 2009年に日立製作所からオートモティブシステムグループが分社化され、株式会社日立オートモティブシステムズが設立された。それに伴い、佐和事業所も社名が日立製作所から日立オートモティブシステムズとなった。
脚注
外部リンク
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