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黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会
毎年5月初めに大阪市で行われるバレーボール大会 ウィキペディアから
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黒鷲旗JVA全日本バレーボール選抜大会(くろわしきぜんにほんせんばつバレーボールたいかい)は、毎年5月初めに日本の大阪府大阪市で行われるバレーボール大会。主催は、日本バレーボール協会と毎日新聞社(大阪本社所管事業)。主管は大阪府バレーボール協会。大会名の通り「黒鷲旗」と呼ばれる優勝旗を懸けて争う。
日本のバレーボール大会では、平年各クラブチームでの戦いの1年の総決算となる。しかし2024-25シーズンからSVリーグファイナルが5月開催となるため[1]、現行形式での開催は2025年で終了となる[2]。2025年大会はSVリーグ所属チームは出場しない。
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創設の経緯
創設当時のバレーボールは、まだマスコミに取り上げられる機会も少なく[3]、これを憂いた日本バレーボール協会の幹部・高橋哲雄が[3]、当時盛んだった都市対抗野球大会を見て、バレーを都市対抗のように盛んに出来ないものかと[3]、飲み友達だった毎日新聞大阪本社のバレー担当記者だった大村至信に働きかけ[3]、関西でバレーの大会の創設が決まった[3]。当時の日本バレーボール協会の幹部はほとんど大阪に居住していた[3]。高橋が「都市対抗野球の優勝旗が『黒獅子旗』なら、バレーは『黒鷲旗』にしよう」と提案した[3]。1951年夏から具体的な準備が始まり、1952年元旦の毎日新聞一面に「毎日新聞大阪本社70周年記念事業として第一回大会を開く」と社告が掲載された[3]。松平康隆は「私もあの広告を見て、バレーをもう少し続けてみようという気になりました。あれを見なかったらバレーと長く関わることはなかったと思います」と述べている[3]。当時、鐘紡、倉紡、東洋紡、日紡(ユニチカ)といった紡績会社が女子バレーに力を入れ、いずれも大阪に本拠を置いていたことから[3]、大阪ならバレーの大会を盛り上げることが出来るという計算があった[3]。
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歴史
- 1952年 - 毎日新聞創刊70周年記念事業として、『全日本都市対抗バレーボール優勝大会』の名称で第1回大会が開催される。東京で人気を博していた、都市対抗野球大会に対抗して作られた[3]。多くの観客が収容できる体育館は当時はなく[3]、テニスの大会終了後、大阪プールのプールの水を抜き、土を入れたコートを使用した[3]。出場チームは男女各16チーム。9人制バレーボール大会であった。
- 1953年 - 第2回大会から会場を大阪府立体育館(現在の大阪府立体育会館、エディオンアリーナ大阪)に移す[3]。
- 1957年 - 男子優勝チームの八幡製鉄が台湾に派遣される。
- 1962年 - 第11回大会から6人制大会に移行[3]。1960年にプレ大会、1961年に第1回大会として開催された全日本実業団選手権(6人制)と併催になる。(1983年まで)
- 1968年 - 韓国から男女1チーム、台湾から男子1チームが参加。
- 1976年 - 若鷲賞が創設される。
- 1980年 - 女子はアメリカ・コロラドスプリング市が優勝、初の日本国外のチームが優勝する。
- 1981年 - 大会名を『全日本都市対抗バレーボール選手権大会』に改称する。
- 1984年 - 大会名を『黒鷲旗全日本バレーボール男子・女子選手権大会』に改称する。大学生チームが初参加。参加チームは男女各32チームとなる。
- 1985年 - 大阪府立体育館の改築で、会場が大阪市中央体育館に移る。
- 1986年 - 大阪城ホールで開催される。
- 1987年 - 会場が新築された大阪府立体育会館に戻る。
- 1988年 - 高校生チームが初参加。
- 1996年 - Vリーグで授与していた天皇杯・皇后杯を優勝チームに授与することとなり、大会名を『天皇杯・皇后杯黒鷲旗全日本バレーボール選手権大会』に改称する。
- 2005年 - クロッキー賞を新設(2006年まで)。
- 2007年 - 新大会『天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会』の新設に伴い、『黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会』にリニューアルされた。『全日本選手権』としての大阪での決勝は、2006年の第55回記念大会が最後となる。『黒鷲旗』は参加チームを男女16チームとする。
- 2013年 - 第62回大会の1日目で、練習中にレシーブで床に飛び込んだ選手にコートから剥がれた細長い木片が腹部につき刺さるアクシデントが起こった[4]。
- 2014年 - 大阪府立体育会館の改修工事の為、会場が大阪市中央体育館(丸善インテックアリーナ大阪)に移る。以降、同体育館での開催が続いている。
- 2015年 - 女子・JTマーヴェラスが優勝したが、V・チャレンジリーグ所属チームの優勝は史上初[5]。
- 2020年 - 新型コロナウイルス感染症の流行を考慮して、史上初の大会中止の措置が執られた[6][7]
- 2021年 - 2年振りの開催に向けて準備を進めていたが、4月21日に、新型コロナウイルス感染症流行の影響により2年連続となる大会中止が発表された[8]。当年度の大会は開催が予定されていたため、第69回大会としてカウントされることとなり、同大会に出場予定だったチームは通算出場回数が同大会分もカウントされた[9]。
- 2022年 - 第70回大会として3年振りに開催された。
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競技方式
出場枠
本大会に出場できるのは男女各16チームで、出場チームは大会前に開催される選考委員会によって確定する[10]。
試合形式
以前は完全なトーナメントだったが、2003年から一部方式を変えた。前半2日間はグループリーグ(4チーム×8組)を行う。但しVリーグ(現プレミアリーグ)・V1リーグ(現チャレンジリーグ)所属のチームとそれ以外のチームとで2チームずつ入るようにし、同じカテゴリーのチームとの直接対決をしない対抗戦方式で2試合を行い、各組第2位までの16チームが後半4日間の決勝トーナメントにコマを進める。 2007年から出場チーム数削減に伴い、前半3日間はグループリーグ(4チーム×4組)を行い、各組1位が2日間の決勝トーナメントにコマを進める。
2012年現在、前半3日間はグループリーグ(4チーム×4組)を行い、各組上位2チームが3日間の決勝トーナメントにコマを進める。
コートは、グループリーグは4面コート、準々決勝は2面コート、準決勝以降は、センターコートで実施する。
表彰項目
歴代優勝/準優勝チーム
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歴代表彰選手
男子
女子
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放送
- 2001年までは、毎日放送制作・NET系列(1974年まで)→TBS系列(1975年から)にて準決勝(主に男子が第1試合、女子が第2試合)・決勝を放送していたが、2002年以降、 準決勝及び決勝戦はGAORAで中継され、決勝戦は毎日放送で深夜録画で放送される。概ねバレーボール世界選手権の日本における放映系列に沿っていた。2013年は編成の関係でMBSでの中継は当日(5月6日)深夜ではなく、大会終了から1週間後の5月12日深夜に録画中継された(GAORAは当日生中継)。
- 2010年大会の解説者は、MBS子会社GAORAの中継を担当している佐々木太一(男子)や寺廻太と吉原知子(女子)が務め、決勝では全日本男子・女子それぞれの監督である植田辰哉と眞鍋政義が解説を行い、女子決勝では吉原がコート解説を担当した。男子決勝では同年引退した荻野正二(サントリーサンバーズ・コーチ)が(所属のサントリーが準決勝で敗退したため)急遽ゲスト解説として男子決勝に登場した。
- 実況はMBSの森本栄浩と馬野雅行が担当、かつては水谷勝海や金指誠も担当していた。リポーターは、かつて男子の試合を益子直美が担当していたが、現在は試合後のインタビュアーとして2009年に中京テレビから移籍してきた金山泉が準決勝を担当(中継スタッフのテロップにはリポーターと明記)、決勝は森本と馬野が担当した。2010年大会の準決勝は勝利者インタビューを行わず、放送席で試合回顧したのち放送終了となった。
- 2001年までは、製作局であるMBSの社旗とともにキー局であるTBSの社旗も体育館内に掲げられていたが、現在はMBSの社旗のみが掲げられている。
- 2022年からは毎日新聞デジタル内の特設サイト上で全試合ライブ配信を行っている。
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大会マスコット
黒鷲をモチーフにした、「クロッキー君」をマスコットとしている。
エピソード
参考文献
- 毎日新聞社 編『黒鷲旗全日本バレーボール男子女子選手権大会40年史』毎日新聞社/日本バレーボール協会、1994年。
- 第60回記念黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会 公式プログラム
- 黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会60年史 男子バレー編 【DVD】 PCBP-12038
- 黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会60年史 女子バレー編 【DVD】 PCBP-12039
関連項目
脚注
外部リンク
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