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明和町 (群馬県)
群馬県邑楽郡の町 ウィキペディアから
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明和町(めいわまち)は、群馬県南東部に位置し、邑楽郡に属する町。館林都市圏、関東大都市圏に属する[1]。
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概要
総人口10,727人、世帯数4,090世帯(2021年)の自治体である(群馬県統計情報提供システムの統計)[2]。東京都心から約60kmと群馬県の中で最も東京都に近く、交通の便も良い事から、東京へ通勤・通学する住民も多く[注釈 1]、関東大都市圏[1]に属する。
1995年と2000年の国勢調査においては群馬県の市町村の中で唯一東京特別区部への通勤率が5%を上回っていた。
町内の大規模な工業団地により財政は非常に豊かで、対人口財源は群馬県下上位で、2007年より交付金不交付団体となっている。2006年の財政力指数は0.80であったが、2007年に1.11となった。それらを理由として、隣接する館林市などとの合併を拒み続けてきた。
江戸時代には江戸と上野国や下野国を結ぶ交通の要衝であった[2]。1871年(明治4年)の廃藩置県後にはこの地域は栃木県に属していたが、1876年(明治9年)に群馬県の管轄となった[2]。
1955年(昭和30年)に町村合併促進法により千江田村、梅島村、佐貫村の三ヶ村が合併して明和村となった[2]。町名の由来は、三ヶ村の合併時に、公募により「明朗で平和な村に」という想いから新村名として「明和村」と名付けられたことによる[3]。
交通網の発達により都市化が進み、1970年(昭和45年)に首都圏都市開発区域の指定を受けた[2]。1985年(昭和60年)には人口1万人を突破し、1998年(平成10年)に町制を施行して明和町となった[2]。
三重県にも同表記の明和町(めいわちょう)があり、両町で友好交流提携・災害相互応援協定を締結している[4]。両町は町名だけでなく、町章に三日月を象ったデザインを採用している共通点も存在する。
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地理
地域
五十音順
- 入ケ谷(いりがや)
- 梅原(うめばら)
- 江口(えぐち)
- 大佐貫(おおざぬき)
- 大輪(おおわ)
- 上江黒(かみえぐろ)
- 川俣(かわまた)
- 下江黒(しもえぐろ)
- 須賀(すか)
- 千津井(せんづい)
- 田島(たじま)
- 斗合田(とごうた)
- 中谷(なかや)
- 新里(にっさと)
- 南大島(みなみおおしま)
- 矢島(やじま)
隣接している自治体
歴史
人口
![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
明和町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 明和町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 明和町
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
明和町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
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行政・立法
- 町長:冨塚基輔(2015年4月26日就任、3期目)
県議会
→詳細は「群馬県議会」を参照
- 選挙区:邑楽郡選挙区
- 定数:3名
- 任期:2023年(令和5年)4月30日 - 2027年(令和9年)4月29日[5]
衆議院
- 任期 : 2024年(令和6年)10月27日 - 2028年(令和10年)10月26日(「第50回衆議院議員総選挙」参照)
施策
- 環境都市宣言
- ISO14001を認証取得
- もったいない館
- 明和町キャラクター
- メイちゃん
教育
小学校
中学校
高等学校
交通
鉄道

路線バス
- 広域公共路線バス:館林・明和・千代田線(館林駅〜川俣駅〜千代田町役場)
道路
高速道路

- 東北自動車道(町内にインターチェンジなし)最寄のICは館林インターチェンジと羽生インターチェンジ
国道
物流
館林市や邑楽郡板倉町同様、群馬県でありながら東北自動車道沿線にあるため宅配便では隣接県扱いになる例が多い。
出身著名人
産物
名所

- 桜並木路
- ふるさとの広場
- シクラメン通り
- 梨街道
脚注
関連項目
外部リンク
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