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星翔太
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星 翔太(ほし しょうた、1985年11月17日 - )は、東京都葛飾区出身[2][3]のフットサル選手。ポジションはピヴォ。弟の星龍太もフットサル選手である[4]。
来歴
要約
視点
暁星小学校でサッカーを始め暁星中学校に進学。全国中学校サッカー大会に3年連続出場し、3年次には全国優勝も果たしている。その後暁星高校へ進学[5]。
高校卒業後は早稲田大学スポーツ科学部に入学[6]。大学では野球やテニス、格闘技など、様々なスポーツに挑戦したが、どれもサッカーを超越するほど熱中できるものではなかった[7]。そんななか、須賀雄大や北原亘の誘いから、森のくまさんに参加、関東大学フットサルリーグへ参加したことがきっかけで本格的にフットサルを始めた。その後、関東フットサルリーグ昇格が決まっていたBOTSWANA FC MEGUROに入団。関東リーグ初シーズンの開幕戦では、前年度の3冠(関東リーグ、地域チャンピオンズリーグ、全日本選手権)を達成したFIRE FOXと対戦し、星もルーキーながら出場、勝利を収めている。
2005年には関東リーグ1stステージ4位、2ndステージ(上位リーグ)3位となり、FUTSAL地域チャンピオンズリーグ出場権を獲得。
2006年には関東リーグ1stステージで初優勝を果たした。2ndステージ(上位リーグ)では4位となった。
2007年、 関東リーグが1部・2部制へと改定されたのを機に、チーム名も「FUGA MEGURO」へと変更し、同1部で2度目の優勝を果たす。同年の地域チャンピオンズリーグでは3位に入った。
2008年には関東リーグ1部で2連覇を達成。5月から8月にはブラジルのCASCAVEL FUTSAL CLUBEへ留学。
2009年、関東フットサルリーグ史上初の3連覇達成。第14回全日本フットサル選手権大会では、同年のFリーグ1、2、3位のクラブを次々と破って優勝した。
全日本選手権終了後の2009年にはFリーグ・バルドラール浦安に移籍[5]。
同年にはフットサル日本代表に初選出され、代表初出場を記録した中国遠征で2得点をマークした。
2010-11シーズン終了後に浦安を退団し、スペイン・プリメーラ・ディビシオンのUDグアダラハラFSに加入[5]。
2012年6月に浦安に復帰し[5]、2012 FIFAフットサルワールドカップ日本代表メンバーに選出された。
2016年、怪我で長期戦線離脱したこともきっかけとなり、同年9月より株式会社エードットでインターン活動を開始。人材育成プロジェクト『Playing Worker(プレイングワーカー)』を始動させた[8]。2017年、エードットの子会社という形で株式会社アスラボを設立し、代表取締役に就任した[7]。
2022年 2度目のW杯に出場し、世界ランキング1位、2位のスペイン、ブラジルからゴールを決める快挙を成し遂げる。 弟・龍太と共に日本代表としてW杯に出場した。史上初めての兄弟での選出となった。 また兄弟で初戦のアンゴラ戦でゴールを決め、これもまた史上初の出来事となった。 最後にはキャプテンマークを巻き、次の世代へのメッセージを残し、記憶にも残る存在となった。 また、シーズン前に異例の引退発表をし、大きな反響を呼んだ。 最終的にリーグのベスト5に唯一の日本人として選ばれ、惜しまれながら、現役引退した。
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所属クラブ
- サッカー歴
- フットサル歴
- 2004年-2005年
森のくまさん
- 2004年-2009年
BOTSWANA FC MEGURO/FUGA MEGURO
- 2009年-2010年
バルドラール浦安
- 2010年-2011年
UDグアダラハラFS
- 2011年-2012年
FSマルフィル・サンタ・コロマ
- 2012年
アル・ラーヤンSC
- 2012年6月-2018年
バルドラール浦安
- 2018年-2022年
名古屋オーシャンズ
個人成績
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脚注
外部リンク
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