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木村睦男
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木村 睦男(きむら むつお、1913年〈大正2年〉7月29日 - 2001年〈平成13年〉12月7日[1])は日本の政治家、運輸官僚。位階は正三位。参議院議員、参議院議長、運輸大臣を歴任。
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来歴・人物
岡山県阿哲郡千屋村(現・新見市千屋)出身[1]。東京帝国大学法学部卒業[1]。
田中派に属し、ロッキード事件では公判に証人として立ち田中角栄を擁護した[1]。1987年7月4日、竹下登、金丸信らによる新派閥「経世会」が結成され[2]、田中派が竹下派、二階堂グループ、中立系の3派に分裂した際は二階堂グループにはついていかず、中立系に属した[3]。
自民党系の改憲団体で、「自主憲法期成議員同盟」(現・「新憲法制定議員同盟」)の関連団体である「自主憲法制定国民会議」(現・「新しい憲法をつくる国民会議」)会長をつとめ、憲法改正私案を発表するなど改憲論者であった[1]。
秋山長造は、同一選挙区における長年のライバルとして知られた。
略歴
- 1938年 - 東京帝国大学法学部卒業[1]
- 1939年 - 鉄道省入省、同期に佐藤光夫元運輸事務次官[1][4]
- 1959年 - 運輸省仙台陸運局長
- 1960年 - 運輸省東京陸運局長
- 1961年 - 運輸省自動車局長
- 1964年 - 参院補選[5]の岡山県選挙区に自民党公認で出馬し当選(連続5回)[1]。
- 1974年 - 12月9日、三木内閣で運輸大臣に就任。成田空港問題に取り組み、航空燃料暫定輸送などについての地元調整を行った[6]。運輸大臣在任中にロッキード事件が発覚[1]。
- 1983年 - 改選後の臨時国会で参議院議長に就任。
- 1987年 - 勲一等旭日大綬章受章[7]
- 1989年 - 参院選に出馬せず政界引退[1]。地盤を片山虎之助に譲る。
- 2001年 - 12月7日、88歳で死去。
選挙歴
脚注
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