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東十三塚町

愛知県瀬戸市の地名 ウィキペディアから

東十三塚町
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東十三塚町(ひがしとみづかちょう)は、愛知県瀬戸市道泉連区の町名。丁番を持たない単独町名である。

概要 東十三塚町, 国 ...
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地理

河川

  • 陣屋川瀬戸川支流)[8] : 町の西端、西十三塚町との境を南流している。

学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。また、公立高等学校普通科に通う場合の学区は以下の通りとなる[11]

さらに見る 番・番地等, 小学校 ...

歴史

町名の由来

町名設定の際、旧瀬戸村字十三塚[注釈 1]の東方にあたることから名付けられたと推察される[2]
十三塚の地名の由来については、以下の4つの伝説がある[12]

  • 1584年天正12年)小牧・長久手の戦いにおいて敗れた落武者13名が命からがらこの村まで逃げ延びてきたが、力尽きてしまった。かわいそうに思った村人達はこの地に13の塚を建てて弔った。
  • 1482年文明14年)今村赤津村郷主松原下総守広長は桑下城主長江民部少輔と相争い、合戦になった。松原勢は利なく西方へ敗走した。その時多数の軍兵が死に、この地に塚を築いて埋めた。その塚の数が13であった。
  • 1556年弘治2年)8月稲生の戦いにおいて織田信長とその弟信行が戦い、敗れた落武者13名がこの地で落命した。これをいたんだ村人が13の塚を建てて祀った。
  • 昔、瀬戸村に美男と美女が瀬戸川を挟んで住んでおり、二人は人知れず慕っていたが、丙午(ひのえうま)の乙女ということで破談になり、乙女は瀬戸川に身を投げ自殺してしまった。その後、この乙女の霊がここにさまよい、同月同日同時刻にここを通る馬を呪い殺していた。13年経過してやっと地元の人々がこれに気付いて、13の塚を建てて霊を弔った。

沿革

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世帯数と人口

2025年令和7年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[5]

さらに見る 町丁, 世帯数 ...

人口の変遷

国勢調査による人口の推移

1995年平成7年) 279人[13]
2000年(平成12年) 228人[14]
2005年(平成17年) 181人[15]
2010年(平成22年) 180人[16]
2015年(平成27年) 144人[17]
2020年令和2年) 220人[18]

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

1995年(平成7年) 127世帯[13]
2000年(平成12年) 112世帯[14]
2005年(平成17年) 95世帯[15]
2010年(平成22年) 94世帯[16]
2015年(平成27年) 71世帯[17]
2020年(令和2年) 101世帯[18]

交通

鉄道

名鉄瀬戸線[8] : 町の南端、京町との境を東西に走っている。最寄り駅は瀬戸市役所前駅になる。

バス

町内にバスは走っていない。最寄りのバス停は、名鉄バスしなの線(瀬戸北線)」【1】【1H】【2】【2H】系統、同「東山線」【16H】【17H】系統の瀬戸京町バス停になる。

道路

町内に国道県道は通っていない。

その他

日本郵便

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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