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松井繁

大阪府出身の競艇選手 ウィキペディアから

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松井 繁(まつい しげる、1969年11月11日[1][2] - )は、大阪府吹田市出身[2]ボートレーサー。登録第3415号[3]

概要 松井繁, 基本情報 ...
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来歴

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2012年当時の肖像

大阪府吹田市南吹田出身[2]。上に兄が一人いる。父親は寿司屋を経営していたが、本人は「包丁持つのも苦手」だとして、家業を継ぐ気は全く無かった[4]。中学・高校時代はテニスをしていたが、目立つ選手ではなかったという[5]北陽高等学校在学時は将来の進路を見い出せず、大学や専門学校を数校受験するつもりでいたが、競艇選手の募集に応募したところ合格。北陽高等学校を卒業後に本栖研修所(現・ボートレーサー養成所)に入所する。なお競艇選手を志した経緯については、「父親が知人から競艇選手養成所の募集案内を渡されたのをきっかけに養成所にも出願した」[6]、「父親の寿司屋の従業員から「ボートレーサーに向いてるんじゃないか?」って勧められた」[4]など、文献によって異なる記述が見られる。

松井によると、養成所時代は同期生の中でも転覆が抜きん出て多く、いつ養成所を退学になるか恐れる日々を送っていたという[7]。しかし同期生の應治千代美によると、養成期間の後半に入り実戦形式の研修を行うようになると、松井は服部幸男とともにトップクラスの成績を収めるようになったという[8]。その後、1989年3月24日に選手登録をする[9]

1989年5月、地元住之江競艇場にてデビュー[10][11]。デビューから半年でB1級に昇級し、その1年後にA級に昇級した[12]。なお本人によれば、デビューから数年は試行錯誤を繰り返していたものの、1995年5月に住之江で行われたオール大阪戦(ラピートカップ)で「ようやく納得のいくモンキーターンができた」ことで、競艇選手としてやっていける自信が固まったという[4]

2008年9月12日福岡チャンピオンカップ初日のドリームレースで1着に入り、公営競技史上初の生涯獲得賞金25億円を突破。

2009年7月14日津競艇場での「G1モーターボート大賞」で1500勝達成。

2009年10月13日尼崎競艇場での「全日本選手権」で初優勝、悲願の競艇ダービー制覇を果たした。

2009年12月23日、賞金王決定戦競走V3を果たし、SG競走V10を達成した。

2011年9月8日鳴門競艇場での「G1大渦大賞」にて優勝。史上12人目となる、通算100回目の優勝を果たした(うちSG10勝、GI45勝)[13]

2011年12月25日住之江競艇場での「第26回賞金王決定戦」にて2着となり4500万円を獲得。公営競技史上初の生涯獲得賞金30億円突破を果たす[11]

2023年5月27日芦屋競艇場で行われたSG第50回オールスターの5日目、日本のボートレース史上初となる生涯獲得賞金40億円突破を果たした[14]

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エピソード

  • 「ボートレースのメッカ」住之江競艇場を抱え、競艇の盛んな近畿地区の絶対的エースであり、植木通彦の「艇王」に対し、「絶対王者」という異名を持つ[15]
  • 江戸川競艇場を苦手としており、これまで優勝したことがない。2006年の江戸川MB大賞では初日から江戸川独特の波やうねりに苦しみ、節間で1着を獲ることもままならず予選落ち。その後は長らく江戸川の斡旋はなかったが、2014年の周年記念で7年半ぶりに斡旋され、優勝戦に進出。優勝とはならなかったものの「王者」として気を吐いた。
  • 賞金王決定戦競走では初出場の1995年から2004年まで連続出場していたが、2005年7月に桐生競艇場でのオーシャンカップ競走準優勝戦でフライングを喫し、その罰則によりSG出場4回停止のペナルティ[16]。これにより連続出場は10で途切れた[16]。翌2006年からは再び連続で出場していたが、2018年に蒲郡競艇場でのボートレースダービーの最終日にフライングしてしまい、同年の賞金ランキングが22位と低迷したことから、連続出場記録が12で途切れた他、グランプリシリーズの期間中にフライング休みが入ったため、シリーズ戦にも出場できなかった[17]
  • 1996年から始まったSGオーシャンカップ競走では、第1回から連続で出場しており2011年までは唯一の皆勤であったが、2012年に尼崎競艇場で行われた第17回オーシャンカップにはフライング休みのため出場できず、連続出場記録は16で止まった。
  • 弟子に浦上拓也鎌田義北村征嗣[18]山本隆幸(兵庫支部所属)、同期には鈴木茂正服部幸男中里英夫鈴木博應治千代美らがいる。
  • 容姿がマイケル富岡に似ており[15]内田和男は松井を「マイケルレインボーアタッカー」と称した。また、雑誌でマイケルと対談したこともある。
  • 座右の銘は「時は金なり (Time is Money)」[19]。趣味はペラ叩き。
  • サンテレビボートの時間!」では、同番組アシスタントの藤村椿から「しげちぇる」というニックネームを付けられている。
  • 妻との間に娘が3人おり、三女の朝海は第53回ミス日本コンテスト2021でグランプリに選出された[20][21]。ちなみに普段、朝海からは「ゲルちゃん」もしくは「ゲル」と呼ばれている[22]。また、2024年に長女に子供が産まれ、おじいちゃんになったことを明らかにしている[23]
  • 競艇誌「BOATBoy」のインタビューで「アイスクリームは一日も欠かさない」と言うほどのアイスクリーム好き。ちなみに好きなアイスはガリガリ君アイスの実(ぶどう、もも、カフェオレ)で、量は「1日3袋」と決めている[22]。他によっちゃんイカも好物で、朝海によれば「家族でトランプをするときは必ずよっちゃんイカを食べている」[22]
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成績

要約
視点

勝率・連対率など

優勝実績

SG

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GI/PGI

2023年1月15日現在、G1通算58勝。全24場中22場でG1タイトルを獲得している。未優勝は江戸川競艇場と徳山競艇場のみ。

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GII

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GIII

優勝数6回

一般戦

優勝数44回

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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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