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松平康元
日本の武将 ウィキペディアから
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松平 康元(まつだいら やすもと)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。徳川家康の異父弟。
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略歴
久松俊勝の次男として尾張国阿古居城(現在の愛知県知多郡阿久比町)にて誕生。
永禄3年(1560年)3月、異父兄・家康と会見して康元と改名し、それに伴い松平姓を(かし)されたという(『寛政譜』他)。永禄5年(1562年)上ノ郷城主となる。天正18年(1590年)落城後の小田原城の守備にあたり、同年下総国関宿藩2万石の所領を与えられ、天正19年(1591年)には4万石に加増された。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、家康の代理として江戸城の留守居役を務めている。
系譜
康元の娘の多くは異父兄の徳川家康の養女となり、有力大名家へ政略結婚で嫁ぎ、徳川家の権力基盤の安定の基となった。男子らは親族として適当であったのであろう、各々が従兄弟にあたる徳川御三家や駿河大納言徳川忠長に配属された。康元の家は子や孫の代で大きく所領を減らし大名ですらなくなるが、もし穏当に存続できていれば、弟の定勝の系統のように幕府内でももっと重く用いられた家系であったはずであろうと推測される。
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家臣
脚注
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