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林昌樹
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林 昌樹(はやし まさき、1979年11月28日 - )は、静岡県磐田市出身の元プロ野球選手(投手)。
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経歴
プロ入り前
小学生時代、地元磐田市の中泉クラブに所属。
興誠高等学校では、3年夏の県大会で骨折しながら勝ち進むも、決勝で浜松工業高等学校に敗れ準優勝。
その後、1997年のドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け、入団。
プロ入り後
2001年に一軍で初登板を果たした。
2006年は自己最多の61試合に登板し、開幕から10試合以上防御率0点台を保つなど、前半戦はリリーフエースとして重要な役目を果たした。しかし後半戦は疲労からか登板のたびに失点することが多く、防御率は急落。特に大事な場面での被本塁打が目立った。
2007年は中継ぎとしてリードしている試合に多く登板するも、終盤は前シーズン同様に度重なる連投から精彩を欠き、打ち込まれることが目立った。
2008年は5月30日に登録抹消となり、二軍で調整していた7月に肋骨骨折による戦線離脱となる。そのままシーズンを終え、17試合の登板に留まった。
2009年はオープン戦で結果を残し、開幕から1軍に帯同。中継ぎの一角として前年の17試合を大幅に上回る46試合に登板したが、やや安定感を欠き、防御率は4.28、ホールドも一昨年の3分の1ほどの5に終わった。
2010年はシーズン通して安定感を発揮できず、昨年の半数ほどの26試合の登板に留まった。
2011年は、二軍で42試合に登板し防御率3.31を記録するも、一軍では2試合の登板に終わった。10月13日、球団より戦力外通告を受け、12月2日に自由契約公示された。現役続行を希望しトライアウトを受けたものの、獲得を目指した球団はなく、12月8日に現役引退を発表した。引退後は広島で打撃投手に転身した。
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選手としての特徴
捕手が捕球に困るほど大きく変化するスライダーが特徴で、シュート・シンカーなども投げる。パームボールは腕に負担がかかるため2005年を最後に使用を止めていたが、2009年のシーズンオフに再度習得に挑戦している[1]。しかし制球力が低く、特にスライダーはどこに行くか見当も付かなかったため、現役当時は話題にならなかった。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
![]() | この選手の記録に関する文献や情報源が必要です。 (2014年1月) |
- 初記録
- 初登板:2001年5月15日、対ヤクルトスワローズ8回戦(明治神宮野球場)、6回裏に3番手で救援登板・完了、3回2失点
- 初奪三振:2002年7月6日、対ヤクルトスワローズ11回戦(広島市民球場)、6回表に浜名千広から空振り三振
- 初勝利:2003年10月12日、対ヤクルトスワローズ25回戦(広島市民球場)、9回表に2死に5番手で救援登板・完了、1/3回無失点
- 初先発:2004年7月8日、対阪神タイガース15回戦(広島市民球場)、4回2失点
- 初セーブ:2004年8月31日、対ヤクルトスワローズ23回戦(明治神宮野球場)、11回裏2死に6番手で救援登板・完了、1/3回無失点
- 初ホールド:2006年4月22日、対中日ドラゴンズ4回戦(米子市民球場)、8回表無死に3番手で救援登板、1/3回無失点
- その他の記録
背番号
- 53 (1998年 - 2011年)
- 111 (2012年)
- 103 (2013年 - 2014年)
脚注
関連項目
外部リンク
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