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柏田貴史
日本のプロ野球選手 (1971-) ウィキペディアから
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柏田 貴史(かしわだ たかし、1971年5月14日 - )は、熊本県八代市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
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来歴・人物
小学4年生から野球を始める[1]。八代工業高ではノーヒットノーランを3回記録した[1]。
1995年はイースタン・リーグで9勝を挙げて最多勝を獲得[1]。二軍での実績はあったものの一軍では出場機会に恵まれなかった。
1997年2月には、MLBニューヨーク・メッツのスプリングトレーニングに谷口功一と共に野球留学で参加し、監督のボビー・バレンタインからのオファーもあり、巨人を自由契約という形で退団してメッツに入団。5月1日にメジャー初登板[1]。セ・リーグ球団出身初の日本人メジャーリーガーとなった。メジャーでは3勝を挙げたものの内容が悪く(WHIPは1.69)、オフに自由契約となった。
1998年から巨人に復帰[1]。復帰に際しては、メッツからの残留交渉に加えてメジャーの他の3球団からも誘いがあり、また日本球界からも巨人以外の11球団全てから誘いがあった。巨人は最後の最後で一番悪い条件かつ戻ってくるのが当然という態度で交渉してきたが、ドラフト外入団で世話になったこともあり、巨人に復帰をしたと語っている[2]。
1999年以降は中継ぎ・ワンポイントリリーフ専門の投手として毎年40試合以上登板し、左の中継ぎエースとして活躍。
2000年のチーム日本一に貢献した。
2002年以降、中日ドラゴンズから移籍してきた前田幸長や岡島秀樹といった左投手の台頭もあり出場機会が激減。
2005年は、一軍登板が開幕から1度も無かったこともあり、シーズン終盤に現役引退を表明した。
引退後は、メジャーリーグの経験を評価され球団に残り、スカウトに転身した[3]。
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詳細情報
年度別投手成績
- 「-」は記録なし
年度別守備成績
記録
- NPB
- 初登板:1994年4月12日、対横浜ベイスターズ1回戦(横浜スタジアム)、7回裏2死に4番手で救援登板、1回1/3を無失点
- 初奪三振:同上、7回裏に野村弘樹から
- 初勝利:1994年4月14日、対横浜ベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)、2回裏1死に2番手で救援登板、3回2/3を無失点
- 初セーブ:2003年4月25日、対横浜ベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)、8回裏2死に3番手で救援登板・完了、1回1/3を無失点
- MLB
- 初登板:1997年5月1日、対サンディエゴ・パドレス5回戦(シェイ・スタジアム)、8回表に3番手で救援登板、1回を無失点
- 初奪三振:同上、8回表にアンディ・アシュビーから
- 初勝利:1997年5月18日、対コロラド・ロッキーズ5回戦(シェイ・スタジアム)、7回表1死に3番手で救援登板、1回2/3を1失点(自責点1)
背番号
- 84 (1990年 - 1991年)
- 67 (1992年 - 1996年)
- 18 (1997年)
- 49 (1998年 - 2005年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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