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森 (交野市)
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森(もり)は、大阪府交野市の地名。大字。森南(もりみなみ、1–3丁目)、森北(もりきた、1–2丁目)についても本項で述べる。
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地理
森・森南・森北は交野市の中央部東側に位置する[6]。森は山地部を東に伸びており、その西端に森南が接している[6]。森南の北側にはJR片町線(学研都市線)を挟んで森北が隣接する[6]。
周囲には、北に私部南・寺南野・寺・傍示、東に私部、南から西にかけて私市・天野が原町がある[6]。
河川
歴史
室町時代には、河内郡交野郡の郷名として森村郷という名が見られる[7]。
江戸時代には森村といった[7]。初め大阪西町奉行役知で、その後、幕府領となる[7]。寛永10年(1633年)に山城淀藩永井氏領、万治元年(1658年)に旗本永井氏領、後に京都所司代永井氏領となった[7]。貞享4年(1687年)に幕府領となった後、元禄7年(1694年)に相模小田原藩大久保氏領となった[7]。
村の鎮守に川東神社があり、寺院は浄土宗須弥寺と同寺末の大道庵があった[7]。
1881年(明治14年)、大阪府に属し、1889年(明治22年)、磐船村の大字森となった[7]。
地名の由来
森宮内少輔という人物に由来するという話が地元に伝わる[9]。それによると、延久年間(1069–1074年)、石清水八幡宮の荘園である三宅山の山司(荘司)として森宮内少輔という人物が派遣されてきた[9]。宮内少輔は後の森に住んだが、彼は有徳の人で、荒廃していた警固観音を再興した[9]。これにより名を上げた宮内少輔にちなみ、元々「無垢根」(むくね)と呼ばれていた村が「森の村」と呼ばれるようになったという[9]。
沿革
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世帯数と人口
2024年(令和6年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
学区
市立の小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[13]。
施設
交通
鉄道
バス
道路
- 大阪府道・京都府道736号交野久御山線 - 森北1丁目と私部南4丁目の間を通る[6]。
脚注
参考文献
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