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森岡亮太
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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森岡 亮太(もりおか りょうた、1991年4月12日 - )は、京都府城陽市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。早稲田大学人間科学部卒業。
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来歴
要約
視点
プロ入り前
中学時代はサッカーと並行してフットサルにも取り組み、第11回全日本ユース(U-15)フットサル大会に出場した[1]。2009年、京都府立久御山高等学校3年時にヴィッセル神戸とセレッソ大阪から入団オファーを受け、同年11月12日ヴィッセル神戸への入団が決定する[2]。
ヴィッセル神戸時代(第1次)
プロ入り一年目となった2010年は、三浦俊也体制では1試合もメンバーに入ることはなかったが、和田昌裕体制になった10月23日のJ1第27節・名古屋グランパス戦でJリーグデビュー。その後も途中出場で起用され続け、合計8試合に出場した。
2011年は起用される機会は昨年より増えたものの、メンバーに入れない時期もあった。10月10日の第91回天皇杯全日本サッカー選手権大会2回戦三洋電機洲本戦で、プロ初ゴールを含むハットトリックを達成。続く15日のJ1第29節・清水エスパルス戦でJリーグ初ゴールを記録すると、第33節のジュビロ磐田戦でもミドルシュートで得点を挙げ、この年はシーズン終盤にリーグ戦で2得点を挙げた。
2012年は開幕戦にスタメン出場した。
J2での戦いとなった2013年からは背番号「10」を任され大きな期待を背負う。怪我などもあり、シーズン開幕から途中出場や欠場する試合がしばらく続いたが、チームがシーズン初の連敗を喫したあと迎えたJ2第30節・東京ヴェルディ戦でようやく初先発。トップ下で1得点1アシストを記録した[3]。この試合以降12試合中11試合にスタメン出場、シーズン終了までに5得点6アシストを挙げ、クラブのJ1昇格に貢献した。シーズン終了後にはC大阪からの正式オファーが報じられたが神戸と契約を更新した[4]。
2014年はマルキーニョス、ペドロ・ジュニオールなどの強力助っ人を操る司令塔として絶対的な存在感を放ち、リーグ戦全34試合に出場。シーズン終了後には自身初の優秀選手賞選出とフェアプレー個人賞を受賞した。9月5日のキリンチャレンジカップ・ウルグアイ戦で後半44分から出場し日本代表として初めて出場した[5]。
シロンスク・ヴロツワフ時代
2015年、エクストラクラサ(ポーランド1部)のシロンスク・ヴロツワフへ完全移籍[6]。背番号は神戸時代と同じ「10」[7]。1年目からチームの中心的選手として活躍し、2015-16シーズンは15試合7得点2アシストを記録した[8]。2016-17シーズンは、36試合に出場して8得点9アシストを記録している[9]。
ワースラント=ベフェレン時代
2017年6月7日に、ジュピラー・プロ・リーグ(ベルギー1部)のワースラント=ベフェレンへ移籍することが発表された[10]。8月5日の第2節・YRKVメヘレン戦で移籍後初得点を決めた。その後もコンスタントに結果を残し続け、第12節までにリーグ戦で6ゴール7アシストを挙げた。この活躍が認められ、11月の欧州遠征に臨む日本代表に約3年ぶりに選出された[11]。
RSCアンデルレヒト時代
2018年1月30日、RSCアンデルレヒトへの移籍が発表された[12]。契約期間は3年半[13]。2月25日の第28節・ムスクロン戦で移籍後初ゴールを含む2得点を挙げた。3月3日、第29節のSVズルテ・ワレヘム戦でベフェレン時代も含め今季通算10得点目を決めた[14]。この活躍もあり、ロシアW杯メンバー入りも期待されたが選出はされなかった。なおブラジルメディアからは堂安、中島とともに「欧州で得点力を発揮していた」と評価された[15]。しかし、2018-19シーズンは出場機会が激減した[16]。
シャルルロワSC時代
2019年1月30日、シャルルロワSCへシーズン終了までレンタル移籍することが発表された。2月16日の第26節・KVコルトレイク戦で今シーズン初ゴールを決めた[17]。シーズン終了後、完全移籍に移行。9月13日の第7節・KRCヘンク戦では3試合連続ゴールを決めて勝利に貢献した[18]。
ヴィッセル神戸時代(第2次)
2024年8月13日、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせたヴィッセル神戸へ完全移籍で加入。8年半ぶりの復帰となった[19]。
2025年3月31日、現役引退を発表した[20]。
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プレースタイル
高い技術とインテリジェンスを武器に、繊細なボールタッチと広い視野から繰り出される長短精密なパスでゲームを組み立てる司令塔。左右両足遜色なくボールを扱うことができ、機を見てシュートやドリブル突破を仕掛ける万能性を持ち合わせる[21][22][23][24]。海外移籍前は主にトップ下の位置でフリーマンとしてプレーすることが多かったが、ジュピラー・プロ・リーグではボランチ、アンカーポジションで起用されることも増えた。
所属クラブ
ユース経歴
- 1998年 - 2000年 正道カンガーFC(城陽市立久世小学校)
- 2000年 - 2003年 FCソルセウ
- 2004年 - 2006年 城陽市立東城陽中学校
- 2007年 - 2009年 京都府立久御山高等学校
プロ経歴
- 2010年 - 2015年 ヴィッセル神戸
- 2016年 - 2017年 シロンスク・ヴロツワフ
- 2017年 - 2018年 ワースラント=ベフェレン
- 2018年 - 2019年 RSCアンデルレヒト
- 2019年6月 - 2024年8月 シャルルロワSC
- 2024年8月 - 同年12月 ヴィッセル神戸
個人成績
その他の公式戦
- 2018年
- ベルギーリーグ・プレーオフ 10試合3得点
- 2019年
- ベルギーリーグ・プレーオフ 9試合3得点
- 2022年
- ベルギーリーグ・プレーオフ 6試合0得点
- 2024年
- ベルギーリーグ・プレーオフ 3試合0得点
その他の国際公式戦
- 2020年
- ELプレーオフ 2試合0得点
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タイトル
クラブ
- ヴィッセル神戸
- J1リーグ:1回(2024年)
- 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会:1回(2024年)
個人
- Jリーグフェアプレー個人賞:1回(2014年)
代表歴
出場大会
- 2014年 - キリンチャレンジカップ
試合数
- 国際Aマッチ 5試合 0得点(2014年 - 2018年)
出場
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脚注
関連項目
外部リンク
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